“挿絵の名匠”が千寿会に仲間入りされました

濱野氏(右)
濱野氏(右)

 濱野彰親(はまの・あきちか)さんといってもあるいはご記憶にないかもしれません。でも、おそらくほとんどの方がこの人の作品を何度も目にしたことがあるでしょう。今でこそ多少仕事をセーブされていますが、ひと頃は新聞、雑誌、週刊誌にほぼ毎日、お馴染みの絵が登場していたからです。

 いただいた名刺には「日本出版美術家連盟会長」とありましたが、「挿絵の名匠」と言った方が私にはピッタリ来ます。いわゆる“小股の切れ上がった女性”が特徴。松本清張、黒岩重吾、三好徹といった本格派推理小説から、川上宗薫、富嶋健夫、北原武夫、宇能鴻一郎らの官能小説まで、この人の挿絵は超売れっ子でした(作家の名前や字が間違っていたらごめんなさい)。特に昭和40年から50年代にかけての週刊誌ブームの時には、「1日に7本も描いて夜眠る時間もないほど」だったそうです。もちろん、挿絵は自分勝手に描くわけにはいきません。移り変わる小説の情景に応じて雰囲気を描き分けなければいけないから、必ず作家の文章(自筆の生原稿)を読む必要がある。ところが作家の名文は必ずしも読みやすいとは限らない。悪筆や独り善がりな略字にも結構悩まされたようです。

濱野美人
濱野美人

 この濱野さんが2月14日から千寿会にお仲間入りされました。千寿先生が十代の頃からのご縁。腕前は堂々たる元“文壇名人”。「オール互い先の“文壇本因坊”と違ってハンディ戦だったから私でも栄冠に浴した」と濱野さんはあくまでも謙虚ですが、名うての江崎誠致さんや近藤啓太郎さん、富嶋さんらの強豪を相手に名人位を1期ならず2期制したとはご立派。大正15年生まれの78歳という年齢にはとても見えない若々しい打ちっぷりで、今なお上達されていると言うから、碁は素晴らしい。

 千寿会が引けた後の二次会の席上で、彼は我々のリクエストに応えてお得意の女性の顔を描いてくれました。「弘法は筆を選ばず」と言いますが、かささぎさんがかばんから取り出した仕事の裏紙とごく安物の(?)使い捨てボールペンでサラサラとわずか20秒ほど。“濱野美人”の特徴ある目つきを見て、昔愛読した平凡パンチを思い出しました(千寿会メンバーのyoshihisaさんは官能小説が大好きだったようですが)。これからは往年の文壇バーでの作家や紀伊国屋元社長らと女性たちの数多いエピソードなどを、元文壇名人の口から直接うかがうことができそうです。

亜Q

(2004.2.15)


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