あまりにも奇特な囲碁人生~その1

連休最後の5日、古女房が何を血迷ったか、喜寿にもなろうかというシロートおじさんの独唱会を聴きに出かけた。と言っても侮るなかれ、聴衆は200人近く、たっぷり3時間にも及ぶ本格的な音楽会。プログラム第1部はシューマンがハイネの詩から創作した16の歌曲を集めた「詩人の恋」。伴奏を務めるバイオリンとピアノのプロ奏者が独奏する第2、3部を挟んで、第4部は再びおじさんが登場。モーツァルト、シューベルト、ショパン、シューマン、さらに近衛秀麿を原語で絶唱する。会場はスミレやチューリップが咲き誇る日比谷公園内の松本楼2階バンケットホールを借り切り、バイキングスタイルのランチと洋菓子付のティータイムが用意されたなかなかお洒落な催しだったようだ。

こんな調子で古女房から説明を聞くと、下賎の生まれの私が真っ先に気になるのは入場料金。何と一人3000円ポッキリ!これではどう見ても主催者は大赤字だろう。ランチ、お茶代を含む会場費は決して安くはないだろうし、伴奏を務めてくれたプロ奏者への謝礼はもちろん、プログラムから日本語訳を添えた歌詞カード、解説、伴奏者紹介書などの印刷費もかなりかさみそうだ。

聞けばこのおじさんは若いころオペラ歌手を夢見た時期があったらしいが、声量不足を自覚して断念。一転して医学の道にまい進して日本有数の乳がん治療の権威になった。そして今なお臨床現場に立って多数のご婦人方から感謝されている幸せ者だ。この彼が生きがいにしているのが毎年1度松本楼で開く個人リサイタル。「今年はこの曲を歌えるようになりました」と言って毎年新曲を披露されるようだ。聴衆には患者さんや病院関係者とその家族(古女房の家族も患者だった)が少なくないようだが、趣旨はあくまでも「聴いてくれてありがとう」。当初は入場料無料にしていたが、かえって聴講者に気を使わせると配慮して、何回目からか有料にしたという。

自分の趣味を周囲に知ってもらうため、綿密な準備とかなりの散財を厭わぬ“奇特な御仁”は、アマチュアの囲碁愛好者にも見られる。そこで、昔頂戴したままほこりをかぶっていたアマ棋客の著作を思いだした。題して「わが囲碁人生に悔いなし」。著者は札幌市を中心に活躍された強豪アマで、2001年に広島県で開かれた高齢者のスポーツ・文化の大会「ねんりんピック」の囲碁部門で通算3回目の金メダルに輝いた瀬戸陽三郎氏(当時75歳)。建設工事会社の経営に携わりながら月に1度は上京してプロ棋士の指導を受け、プロとの対局数は2000局以上。恩師の一人、林海峰名誉天元は「アマではおそらく今後とも破られることがない大記録」と太鼓判を押されている。

大正14年生まれ。小学校2年生の時に碁を覚え、4年生当時星目の手合いだった父親に「先で勝ったら何でも買ってやる」と言われて首尾よくスキー靴をせしめ、小学校6年から囲碁クラブに通い、昭和27年にはクラブ経営者の地方棋士に紹介されて昭和囲碁界の巨匠・呉清源九段に5子で挑戦して勝ち、「あなたは強い」とほめられた。それから3年間、朝4時に起きて出勤前の3時間猛勉強。いつしか北海道有数の打ち手となり、朝日新聞の第1回アマ十傑戦南北海道大会で優勝、全国大会にも4回出場した。会社経営の傍ら、北海道新聞社の文化教室の囲碁講師も勤めた。

それだけならさほど驚きはしない。仕事に脂が乗り切った昭和59年、直腸ガンが見つかり、以来何度かの大手術を経て人工肛門、人口膀胱の二重苦を背負う身体障害者の身となる。それでも碁を打っているときはすべての苦しみを忘れ、碁をガンとの闘いに打ち勝つエネルギー源として、愛妻との金婚式を迎えた平成12年にはプロ棋士から指導を受けた2000局余りの中から30局を厳選して自戦観戦記の形で打ち碁集を出版された。対局棋譜は長いもので10ページ、10譜にも及び、まさにプロ大棋士の打ち碁集と同じ体裁。ご自身とプロ棋士とで創り上げた棋譜に対する想いが込められているような気がする。いずれも当時の加藤正夫王座が丁寧な総評を付し、巻頭には林名誉天元とともに序文を載せている。

30局に登場する棋士(段位は当時)は呉清源九段以下、趙治勲八段、加藤正夫九段、酒井猛九段、小林光一十段、日高敏之五段、大矢浩一五段、上村陽一八段、淡路修三九段、茅野直彦九段、林海峰九段、石田章九段、石田芳夫九段、ゼイ・ノイ九段、大森泰志四段、小林覚九段、苑田勇一九段、柳時薫五段、王立誠九段、馬場滋九段、武宮正樹九段、鈴木伊佐男五段、小川誠子五段、松浦日出夫七段、山城宏九段、結城聡八段。呉、加藤、酒井各九段は2度登場する。

さらに目を見張らされるのは、巻末に掲げたプロ棋士との戦績表。出版当時の王立誠棋聖、趙治勲名人、趙善律本因坊をはじめ、まだ若手だったころの黒滝正樹四段、久保秀夫四段、小林泉美四段、梅沢由香里三段、穂坂繭二段らも加わり、ざっと120名に上る。いずれも手合い条件を明記し、例えば呉清源九段とは5子局1勝0敗、3子局13勝13敗5ジゴ、林海峰九段には21勝61敗3ジゴ1打ち掛け、加藤正夫九段には2子局0勝1敗、3子局8勝29敗1ジゴといった具合。苦手だったのは石田芳夫九段で0勝5敗1ジゴ。ちなみに小林ファミリーを見ると、覚九段には3子で2勝6敗、千寿五段には2子で3勝0敗、健二六段には同じく1勝0敗。棋譜を取るだけでなく戦績も公表されるとは、「指導碁は勝負とは別」とは言っても、プロ棋士も油断ならない。

瀬戸さんは同書の中で、「冷や汗体験」と、涙がこぼれるほどうれしかった体験を披露されている。「冷や汗」はご自身が地元のアマ碁会の指南役を務める会報の題字を呉清源老師に依頼した時。「いつでも書きますよ」と快諾されて後日老師宅を訪問、「題字のほかに色紙も3枚書いて下さい」と言って、謝礼を入れた祝儀袋を差し出すと、途端に老師は顔色を変え、語気鋭く「私は書きません」と言ったきり奥へ姿を消した。せっかくのご好意に謝礼を出すとは何と失礼なことをしてしまったのかと反省する間もなく全身から冷汗が噴き出したが、針の筵に座る心地でいると、やがて老師は題字2枚と色紙3枚を持ってきて「題字はどちらがよいですか?」と訊いてくれた。怒りを鎮めて書いてくれたのだと思うと、今度は感謝感激で身が震えたとある。

晩年の瀬戸さんを最もうれしがらせたのは、当時の国立がんセンター名誉院長が『日刊スポーツ』紙に「がんに克つ」とのタイトルで3回連載した記事。瀬戸さんの3回の大手術と闘病ぶりを克明に紹介して、「どんな辛いときでも碁を打つことが瀬戸さんの救いだった」と書いてくれた。ザル碁の亜Qも思わずもらい泣き。瀬戸さんと昔のはやり歌でも語り合いながら、1局でも2局でも教えていただきたかったと思う。

ところで、瀬戸さんと好対照を見せるもう一人の“奇特な御仁”を紹介したいが、長くなったので別稿に改めさせていただく。

亜Q

(2010.5.12)


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