これは世界的なビッグニュースだ!

囲碁棋士というより“仙人”と呼びたい杉内雅男九段が昨年11月26日の第36期名人戦予選C決勝で、碁界バリバリの成長株、白石勇一二段を破った。依田紀基元名人が昨年末にブログデビューして早々に大人気になった「ヨダログ」(『素晴らしい先生』)で知り、日本棋院に確認したところ、出版部の小瀬村さんからご丁寧な回答を頂戴した。ありがとうございました。

何しろ仙人は大正9年生まれの89歳。一方の白石二段は昭和59年生まれだから還暦一回り分を上回る64歳の年齢差。ハンディなしの同じ土俵で戦うのがプロの碁だけれど、世界中どこを探したって60年以上の年齢差を克服して互角に戦える競技なんてありはしまい。以前にも、女流第一人者となった謝イーミン女流名人・本因坊と“年齢差70歳対局”を争い、勝負に負けたが碁には勝ったと言われる名局を残されている。依田九段はこの老いた勝者を、「青春とは人生の一定の期間のことではなく、その人の心の様相を言う」というウルマンの詩『青春』をひもときながら、「どれほどの精進と節制を重ねておられるのか、自分たち後進をとても元気づけてくれる素晴らしい先生」と称える一方で、「もっとも生涯現役を貫く杉内先生にしてみれば、年齢を言われるのは心外と思われるのではないか」と心を配っている。

この歴史的な場に、感動をすぐに表に出さずにはいられない私が居合わせたら、真っ先に敗者の白石二段に駆け寄ってまだ血が上ったままの頬に無理やりブチュッと行く。傷心の白石青年はこの変なおじさんをきっと嫌悪するだろうが、年を経ればこの気持ちをわかってくれるのではないか。事実白石二段は昨年18勝(14敗)を挙げた前途有為な青年。勝った仙人も素晴らしいが、負けた若鯉も素晴らしい。碁は素晴らしい、人間も素晴らしい。

ただし仙人にはこんな行動はさすがに差し控える。勝負師がたまたま勝ったり負けたりは当たり前。何をガタガタ騒ぐのか、「お帰りなさい」と言われそうだから。この「お帰りなさい」は「ただいま/お帰りなさい」とは意味が違い、文字通り「家に帰ってもう来なくていい」との宣告。木谷道場の師範代だったころ、遅刻したり勉強態度が悪かったりする後輩にとって、杉内九段の「お帰りなさい」との静かな一言は、梶原オワ先生あたりから「コラッ」と大声で叱られるよりずっと怖かったらしい。

そして私が通信社の記者なら、このニュースを意気揚々と全世界に発信する。私は子供のころから、自分に不都合なことは棒のような大事でも針のように小さく話す天才だったし、さらに成長した今では針のような小事を棒のような大事と説くのも得意になった。いや、そんなことを言いたかったのではない。同じ土俵で、還暦分の年齢差を乗り越えて勝負を制したと聞けば、世界中どんな人も、もちろん碁を知らない人でも興味をかきたてられ、そしていい気持になる(負けた白石二段は大きく報道されれば辛いだろうが、こうした経験を生かしてきっと大成してくれるだろう)。人間とはなんと素晴らしいものだろう、人間の脳はなんと不思議なものだろう、人間の未来はまだまだ明るいのではないか、と。

たとえば欧米の研究機関は碁を通じて人間のアンチ・エイジングの研究を始めるかもしれないし、人材開発に力を入れる発展途上国なら碁を教育の一環に取り入れるかもしれない。チベットあたりの村の古老はこのニュースを聞いて若い衆を集め、世代間コミュニケーションの格好のテーマとするかもしれない。そして10数世紀にもわたって至上の知的競技として育まれてきた囲碁とはどんなものか、なぜこれまで自分たちは知らなかったのか、ほかのゲームやスポーツなどの競技とどう違うのか、と囲碁へ関心が向けられていくだろう――と、ノーテンキな私の妄想は翼を広げるばかりだ。

新聞の囲碁掲載のありようを見ると、七大タイトルの決定時点で主催紙は比較的大きく載せるが、他の全国紙は社会面の片隅に数行程度(20歳名人の井山名人は例外的に大きく扱われたが)。毎週の勝ち負けは専門紙・誌でなければ掲載されない。それは仕方がないとしよう。でも、時には碁を知っているかどうかには関わらないほどビッグな話題もあり得る。米大リーグのランディ・ジョンソンが40歳で完全試合をやってのけた時には、野球を知らない人の関心も集めた。碁は野球やサッカーより愛好者が少ないのは確かだが、人間の知的な営みをある角度から鋭く浮き彫りにしてくれる希有な素材でもある。大ニュースが起こったら、すぐに全世界にわかりやすく発信することが重要だと思う。

もっとも、こうした話題はある種の問題意識を持っていないとついつい見逃して、絶好のPRの場を知らぬ間につぶしてしまう。井山新名人の師匠として有名になってしまった石井邦生九段が数年前、当時(今でも)世界最強と目された李昌鎬九段を破った時ももう少し別の伝え方があったかもしれない。その意味で、日本棋院や関西棋院は常に広報センスを磨いておく必要がありはしないか。エラソーなことをまくしたてて申し訳ないが、「広報」とは、自分たちの行動、理念、実績などを新聞・雑誌・放送・ネットなどの媒体を通じて「中立・公正な情報」として世の中に理解してもらうための支援活動。有償で紙媒体のスペースや放送媒体の番組を買う「広告」と違って金がかからないうえに、編集部の評価・スクリーニングを経て掲載される一般の記事だから信頼性がまるで違う。米国初の黒人大統領だって、名演説の起草を含む大規模な広報活動がなければ誕生しなかっただろう。この有用な広報をもっと使わない手はない。

ただし、手間と知恵が要る。タイミングも重要。話題によっては使うメディアを選んだり、同じ新聞でも掲載面を考慮して作戦を立てる必要がある。文化面なら観戦記者がある程度フォローしてくれるが、社会面、さらに国際面となるとなぜニュースなのかを理解してもらうための「意義づけ」「背景説明」さらに専門用語の簡単な解説なども用意して編集者側に売り込む必要がある。つまり、記者が記事にしてくれるのを待つのではなく、こちらからターゲットを絞り込んで仕掛けるのだ。単発でニュース材料になる話ばかりとは限らない。むしろこれはまれだろう。これまでに蓄積した膨大なデータを分析して、人間の能力や行動の目安を提供したり、将来に向けての能力開発の方向性を占ったりといった「傾向記事」が多くなるかもしれない。年齢や性差も格好のテーマになるだろう。棋士の冠婚葬祭にまつわる話題でも、人間らしい面白いエピソードがまぶされていればスポーツ紙や週刊誌が飛びついてくれるかもしれない。将棋やチェスなどとの違いやコンピューターがどこまで強くなれるかといった話題も時宜に応じて提供できる。

ところで昨年末、東京・日比谷で開かれた名人就位式には50人限定(有料会費)で一般参加客も集めた。私見だが、せっかく20歳名人が誕生した歴史的な就位式だ。50人などとケチなことを言わず、何百人も集めて開催費用ぐらい弾き出したらよかったと思う(その後、関西などへ場所を代えて一般客へのお披露目をしたと聞いているけれど)。もちろん、準備期間や会場の問題もあるだろう。主催紙の朝日新聞文化グループの伊藤衆生(ひろき)記者は、「実行部隊の事業局があらかじめ予算を組んで用意していたのでなかなか臨機応変に対応するのは難しい」と言われていたが、ちょっともったいなかったかなぁという気が残る。今後これと同じような機会は(20歳名人が生まれた以上)10代タイトル者を待たないと大きなニュースになりにくいからだ。

今年もまた、碁界(日本国内に限らず国際棋戦からでもいい)からビッグニュースが生まれてほしい。今回の杉内仙人の勝利をニュース報道するのはややタイミングを失した感があるが、もう1度還暦分の年齢差を超えて勝利した時に、セットにして話題にする“敗者復活”も考えられる。その時こそ、適切な形で世界に発信してほしい。

亜Q

(2010.1.26)


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