ブルーレディーに紅いバラ

 ハンス・ピーチが初代講師になってスタートした級位者向け囲碁教室で始めて碁を覚え、わずか数年間で箱根ふれあい囲碁大会準優勝に輝くほどの“立派な二段”にまで駆け上がった千寿会友のM女(ご参考までにこちらを覗いてみてください)に元気がない。可愛がっている猫ちゃんが風邪でも引いたのかと私は軽く考えていたのだが、事態はもっと深刻だった。飛ぶ鳥を落とす勢いを見せていたM女の囲碁人生が、今重大な危機を迎えているらしい。ウワテにはなかなか勝てず、シタテにはコロコロやられ、一度完全に追い抜いたはずのAさんにも手ひどくいぢめられているというのだ。

 Aさんは40年勤め上げられた大学を定年退職され、今では愛妻と海外ドライブを楽しんだり、後輩とテニスに興じたり、羨むべき花の人生を送っておられる元原子力工学教授。碁はあまたの楽しみの中の一つに過ぎないはずだし、失礼ながらめきめき強くなる年頃でもない。それがなぜか最近急に力強くなり、それまでお得意さんにしていた千寿会最高の人格者、Iさんに代わってM女をターゲットに絞り込んだ様子。あるいはM女とい
う若き女性に巡り会って、それまで心中深く秘めてこられた本来の自我(私はこれを“S意識”とにらんでいる)がほとばしり出たのかもしれない。Aさんは千寿会随一の明るいキャラクターで、碁に勝つたびにウヒャウヒャ大喜びしても誰にも憎まれない得な性格の持ち主。しかしそのAさんでさえ、あまりに痛々しいM女の前では最近ウヒャウヒャをこらえ、「こうすればボクの方が悪かったんじゃない?」などと慰め顔をしているのだ。それが繊細なM女をさらに傷つけていることをご存知なのだろうか。

 悩んでいる若き女性に放置プレイするオトコは、ごく一握りの変人を除いて千寿会にはいない。我こそ優れたヒーリング・セラピストといった面持ちで競うように言葉優しく温かくM女にスランプの理由を問い尋ね、ようやく判明した事実が衝撃的だった。どうやら元凶は、4年ほど前に本サイトの管理人、かささぎさんから譲り受けた「一冊の棋書」だった。4年前と言えば、かささぎさんがM女をパートナーにしてペア碁大会に挑戦し始めた頃だろうか。棋聖は惜しくも逃されたが名人、本因坊など数多のタイトルを獲得した今は亡きK大棋士が著した「序盤の打ち方」。定石とプロの実戦から出題された問題を解きながら、碁の考え方をマスターさせる趣向らしい。

 ところがこれが極めつけの難物。千寿会友の面々がこぞって間違えるのは仕方がないが、プロの先生に聞いても首を傾げることが少なくない。M女は当初ちんぷんかんぷんだったため本書を封印し、有段者として自他共に認められるようになった4年後に改めて2度精読した。ところが読めば読むほど疑問が膨らみ、今では頭の中が混乱の極みにあるらしい。何ごとにもまじめに誠実に取り組むM女はきっと子供の頃から学業優秀だっ
たはず。それが「読み始めた頃から次第に勝てなくなり、今では誰と打っても勝てる気がしない」と嘆くのだ。

 この本を借りて読んだ「こもりん」(M女とほぼ同時に碁を学び、やはり強くなった若き千寿会友♂)がさっそく助け舟を出した。「ボクもこの本を読んでから負け越している。この本は憎い碁敵へのプレゼントに最適ではないでしょうか」。海千山千のたくせんさんは著者のK大棋士の顔も立てながら、「これはきっと、学んだことと、その結果を勝利に結び付けるリンクが切れている。切れたリンクがつながって真理を会得すれば(M女は)恐ろしい存在になる。今はジャンプする前のかがみこんだ状態」と励ます。それを聞いていたyosihisaさんは、金田一名探偵の向こうを張る轟警部みたいなメイ推理を披露。「かささぎさんはこうなることを知ってこの本をM女に託した。“師匠の痛み”を知ってもらいたかった」と。つまり獅子が我が子を千尋の谷底に突き落として強くたくましく育てようとしたのではないかと深読みされるのだ。

 数々の修羅場をくぐり抜けてきた私には、親切そうなオトコ衆の表情にどこか面白がっている雰囲気が嗅ぎ取れるのだが、素直に他人の善意を信ずるM女はそれなりに気が晴れたらしい。ちょっぴり微笑みをたたえ、「この本をA先生にも貸してあげようかな」と健気なユーモアで結んだから、この愁嘆場は心温まる笑いの内に幕を閉じるはずだった。ところが、遅れて登場したかささぎさんがすべてをぶち壊した。

 事の次第を聞いたかささぎさんは、私が口を押さえるいとまもなく、「それって、まさに“利根川の杭”じゃ〜ん!」と言い放った。しかも「トネガワノクイって何?」と問いかけるM女に、かささぎさんは追い討ちをかけるように「そのココロは、“打てば打つほど沈む”ってことなんや、あはっ!!」と得々と解説してしまった。私はその時はっきりと認識した。柳のようなM女の眉はかすかにひそみ、牡丹の花のような唇はわななき、少女のようなつぶらな瞳を乾燥から保護する液体が両目から滲み出るのを。その時以来、M女の世界はブルー一色に染まってしまったらしい。“言霊(ことだま)”を信ずる私には、特に最後の「あはっ」が余計だったと思うのだが、もはや「覆水盆に帰らず」。

 私は生来寡黙な人間だし、“利根川の杭”などとひねり出すかささぎさんのような詩才も持ち合わせていない。その私にできることは、言葉を贈るよりバラを捧げること。100万本のバラは無理だから、たった一輪。M女の誕生日はバラが美しく咲き誇る季節。今のM女は真理の森をさすらう“ランブリング・ローズ”。そのM女の心を癒すには、百万言よりも一輪のバラの花しかない。

 バラと言えば、“酒とバラの日々”という素晴らしい歌と映画が大好きだった。“バラの刺青”というオトナ向けの映画とペリー・コモが歌った甘い主題歌も思い出す。ショーン・コネリーが主演した“薔薇の名前”というすごい映画もあった。千寿会に何度か顔を出された慶応大学囲碁部OBのqin太師は年甲斐もなく“情熱のバラ”という歌をごひいきにされていた。日本でも、若くハンサムボーイだった頃の加山雄三(恋は紅いバ
ラ)、尾崎紀世彦(五月のバラ)、布施明(君は薔薇より美しい)らが歌っている。稿の終わりに加山雄三の詞を借りよう。

 I love you/Yes I do/囲碁とは/女の/胸に息づく/紅いバラの花

 M女にバラ色の囲碁人生が開かれんことを——。

亜Q

(2008.6.5)


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