我が妄想〜チクン大棋士考・その1 「二丁拳銃」

木谷道場でチクン大棋士と共に内弟子生活を送ったチーママは、かつてチクン大棋士の幼少時代に触れて「お気に入りのおもちゃの二丁拳銃をいつも腰にぶら下げて木谷道場内を走り回っていた」と身振り手振りよろしく説明したことがある。6歳でソウルから一人来日したチクン少年を師匠夫妻が温かく迎え、弟子仲間たちともすっかり溶け込んでいた幼き日のやんちゃな姿が眼に浮かぶようだ。

事実、来日翌日に開かれた木谷門下生百段突破記念イベントでは気鋭の若手棋士林海峰六段(当時)との五子局を「生涯の傑作」で打ち負かし、一躍「天才少年」ともてはやされた。「相手が小さくて油断したわけではないが、この年齢の子供にしてはケタ違いに強かった」と、後に名誉天元となる林は1、2年前に連載された同紙の名物コラム「私の履歴書」でチクン大棋士の思い出に触れている。チクン大棋士の門出は意気揚々と一点の曇りもなかったのだろう。

しかし幼い無知を背景にした自信はすぐ木っ端微塵になる。何しろ兄弟子の顔ぶれがすごい。総帥大竹をはじめ殺し屋加藤、24世本因坊石田、早熟の天才春山、宇宙流を創始した武宮といった面々。挨拶代わりの対局で負けると置き石を増やすが、いくつ置いてもなかなか勝たせてもらえない。「考えてみれば、攻めよりシノギに重心を置く私の棋風はこの頃に培われました。石を置いているから中央に模様ができやすいけれど、後から入られて皆生きられてしまう。そんな負け方ばかりだったので、模様を張って勝てる気がしなくなりました」、「年齢は上だけれど後から入門した小林光一さん(53)にもあっという
間に抜かれました」。

ここで、千寿会のメンバーには聞き捨てならない言葉が飛び出す。「挫折感が尾を引いて努力してもダメのような雰囲気だった当時、救世主になったのは女性たちでした」。——はて、これはチーママを指しているのだろうか?その答えは例によってはぐらかされる。「通いで道場に勉強に来ていた小川誠子さんらプロを目指す女性を相手に対局すると、皆心が優しかったこともあって僕にとって絶好の発散の場になり、自信を取り戻した」とあるから、チーママは救世主ではなかったとも読めるのだが…。この件をチーママに問い詰めてもおそらく余裕たっぷりにしのがれ、挙句の果てに「しつこくダメを詰める人はキラ
イ!」とお叱りを受けるのがオチだろう。

その頃、師匠の大木谷が「チクンが10歳になるまでに入段させる」と大言壮語してしまったらしい。女性陣の優しさに乗じていい気になって二丁拳銃ではしゃぎまくっていたチクンやんちゃ棋士がこの期待に背かないはずはない。温厚な師匠が一度だけチクン愛弟子を厳しく叱ったらしい。「それで僕も頑張ろうという気になった」と言うから、この鞭が身内の愛に飢えていたチクン大棋士の琴線(逆鱗かな?)に触れたのだろう。いずれにしても、さすがは碁界の名伯楽ではないか。

亜Q

(2006.6.7)


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