我が妄想〜チクン大棋士考・その4 「好敵手」

連載コラムは、現在の日本碁界を担う「四天王」と呼ばれる若手棋士を語る第1話に始まり、「木谷道場の思い出」「大三冠への道」「国際棋戦と現在の心境など」で構成されているが、私のお気に入りは小林光一名誉棋聖とのライバル関係に触れた第4話。

1986年の正月早々、「骨が飛び出すなど両足を全く動かせなかった」ほどの大きな交通事故(全治3ヶ月の重傷)に遭ったチクン大棋士が10日後に迎えた棋聖防衛戦に挑戦者として登場してきたのが、遅ればせながら頭角を現してきた小林光一九段。この時にチクン大棋士が味わった挫折が、後に大棋士へと飛躍する序章になったらしい。

タイトル戦初の車椅子対局となった1、2局を1勝1敗で迎えた3局目、挑戦者は普段の対局と同じような状態にするため自分だけ台座を要求したという。挑戦者のこの行動がチクン大棋士の琴線に触れた。「事故でこちらに世間の同情が集まっている時になかなか言えるものではなく、敬意さえ抱きました」と好意的に受け止めたところがいかにもチクン大棋士。「勝負にこだわって細かいことにごちゃごちゃ文句をつける嫌な奴だ」ぐらいに(少なくとも私なら)軽い不快感を持ちそうなところだが、「子供の頃からの付き合いですが、心を開いたのはこの時かもしれません」との語りは真情に溢れ、掛け値なしに好もしい。

結局この時は2勝4敗で小林光一九段に棋聖タイトルを譲った。チクン大棋士は前年末にフルセットで戦った名人戦、翌年の棋聖戦を含めて大きなタイトル戦で同じ相手に3連敗を喫したことになるが、なぜか「精神的に大きく落ち込むことはなかった」という。相手の光一九段はこれを弾み台として棋聖、名人となって勢いを増していくが、「自分はリハビリという目標ができて充実した日々を過ごせたし、よきライバルの活躍が励みになって早い回復につながった」らしい。その後は史上初のグランドスラム(公式七大タイトル制覇)を達成、さらに89年には本因坊位を武宮九段から奪取、翌年から3年連続で挑戦してきた最大のライバル小林光一九段を3連破するなど未曾有の本因坊10連覇を成し遂げた。「小林光一さんを尊敬する気持ちを持っていたから、それが僕に運をもたらしてくれた気がします」。疑い深い二重面相の私でも、この気持ちは真に受けたい。

20世紀の後半から今世紀にかけて孤高の活躍を見せ付けたチクン大棋士だが、実はとても寂しがりやで好もしい相手についていきたいタイプなのではないか。そんな性癖を垣間見せてくれるようなエピソードを、女流タイトル経験者のGANMO姉(今は姓をNからIに変え、棋士、主婦、母親の三役を兼ねるようだ)が自身のホームページに書いていた。現在ではこのページを見ることはできないから、うろ覚えのまま再現させていただく。勝手にタイトルをつければ「濡れ落ち葉・チクン」。

誰かの就位式か何かのパーティーが終わって、チクン大棋士が帰り道が同じ方向のGANMO、モコ(この人もタイトル経験者)2人の女流棋士に「僕と一緒に帰ってくれ」と声をかけた。大棋士たる者、後輩の女性2人とタクシーで湾岸をすっ飛ばしていきそうなものだが、もちろん彼はそうしなかった。いつも混雑している夜の房総線に同乗しようと言うのだ。ほろ酔い機嫌の赤い顔、もちろん髪の毛はぼさぼさ。思わず顔を見合わせる女流2人の返事も待たず、迷子になるまいとべったり付きまとった大棋士は駅に着くとすぐ「ちょっとおしっこしてくるから絶対に待ってて」と2人に声をかけるや小走りに男子トイレへ駆け込む。電車の時間を気にした2人は「先に行っちゃおうか、でも大先輩だからなあ」などと相談していると、大棋士はそれを聞いていたように手を洗う暇も惜しむように大急ぎで出てきて機嫌よく電車の中でしゃべり続けたらしい。

弱虫、泣き虫、甘ったれ。嗚呼、愛すべきチクン。けれん味なく勝負師道に邁進する3歳年上の光一九段を兄のように慕い、濡れ落ち葉のように付いていった結果が69個のタイトル獲得につながったのだろうか。

亜Q

(2006.6.14)


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