我が妄想〜チクン大棋士考・その5 「宴の後」

「我が妄想」の最後に、連載コラムを離れて個人的に聞いた話を披露させていただきたい。勤務先の碁敵だった往年の(と言ってもそれほど昔ではありません)敏腕記者M氏の体験談だから確度は高いはずだが、何せもう何年も昔のことだから私の記憶力が問題。ものぐさな私にとって今さら調べたり確認したりの手間が面倒だから、これをお読みいただく賢明なる諸兄には、適宜事実関係を補いながら話を整理して欲しい。

時はチクン大棋士が大三冠をすべて失った(この時は、名人位=相手は依田紀基だったか、本因坊位=相手は趙善律だったか)タイトル戦当夜に遡る。場所は決戦の舞台となった熱海。最後の感想戦を終えると、チクン大棋士は応援に駆けつけていた弟子全員(当然金スジュン七段や松本武久六段らが加わっていただろう)と夜更けあるいは翌朝未明までドンチャン騒ぎを繰り広げたらしい。

そして一夜明けた昼過ぎの熱海の碁会所(日本棋院熱海支部の看板が下がっていた)。席亭が店を開けようとすると、チクン大棋士が一人でふらりと入ってきた。いつの間にか弟子達と別れ、散策中に碁会所を見つけ、店が開くまで前のバッティングセンターでひたすらボールを叩いていたらしい。もちろん席亭はびっくり仰天。熱海でタイトル戦があったのは知っていたが、まさか当の本人が顔を見せるとは。あわててお茶を差し出し、このたびはお疲れ様でしたなどとねぎらいの言葉をかけた。まだ客が入ってこない碁会所で、チクン大棋士は石を並べるでもなくただ碁笥から石をつまんでは戻すということを繰り返しながら、席亭を相手にポツリポツリと昨夜から今朝にかけての自分の行動を話したらしい。

その数日後、偶然その碁会所を訪れた私の碁敵が席亭から話を聞き出した内容は、ほぼ以上に尽きる。痛恨の敗北を喫した戦場をいつまでも去らず、ドンチャン騒ぎ、バッティングセンター、碁会所へと場所を変えながら、この時チクン大棋士は何を思っていたのだろう。

そしてその後間もなく、大三冠を失ったチクン大棋士の姿がテレビで放映された。聞き手は今は亡き清貧・中野孝次。人生の大先輩を前に、「自分の碁を再構築するために神様が与えてくれた試練です」と虚心坦懐に語っていたチクン大棋士の姿が昨日のようによみがえる。

亜Q

(2006.6.15)


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