“コスモポリタン”を育てる

 先週ついに17歳のフランスチャンピオンが誕生しました。世界の多くの国々の中から自分なりに考えフランスにターゲットを絞り指導に通い始めて丸8年、フランスのそうそうたるメンバーを負かしての1位です。彼に続きもっと若い子供も育っています。
 世界の碁の明かりが感じられるビッグニュースです。(「石音」掲示板『フランス碁界』 投稿者:小林投稿日:2005/02/08(Tue) 05:48)

 弾む息遣いが聞こえそうな千寿先生からのメッセージ。囲碁にとって、そして文化的な存在である人間にとって、とても素晴らしいニュースだと思います。

 私は3年前の2月、本サイトで「国技・碁を待望する」という雑文を書きました。囲碁の歴史はざっと三千年以上(水口藤雄『囲碁の文化誌』)、起源は古代中国ともインドとも言われ、日本ではない。それでも、10世紀あまりにわたって育ての親を務めてきた日本は胸を張って囲碁を「国技」にしてはどうか、との提言でした。

 「今どの国が一番強いか」と問われれば、トッププロからアマチュアまで含めて、韓国・中国が一番手、日本は台湾と並んで二番手がいいところ。しかも子供や初級者層の厚みが違う。国民性や社会環境が違う中で、今後逆転するのはもっと難しい(ただし、現時点でトップレベルは紙一重。ヨタロー、シャトルあたりの国際「番碁」が見たい!)。

 しかし、この“強さ比べ”に勝つためにありとあらゆる手段を講じるのはどうだろう。何もわからないうちに大人から仕込まれた“サイボーグまがいの棋士”は幸せだろうか、そもそも人権はあるのか。いわゆる“ゆとり教育”には大反対だし、これまでの日本での棋士育成法が概ね間違ってはいないと思いますが、たとえば義務教育さえスキップしたり、他の五輪種目の選手育成に見られるように筋肉増強剤を使ってまで勝とうとするのは醜い。そんな相手には負ければいいし、歳を取ってから抜き返せばいい。長い目、広い目で見るところが碁の最も良いところではないでしょうか。

 国際戦での金メダル争いに血眼になるよりもっと大切なことがあると思います。囲碁という人類共有の財産に敬意と誇りを持ち、地球上に偏在している人材の輪を世界に広げ、大きく育つ芽を次代に継承していくことではないでしょうか。インターネットが発達した現在、50年後にフランスやドイツ、インド、イスラエルあたりの天才がチャンピオンになっていても全く不思議ではありません。それを悔しがるより、慶ぶべきだと思います。

 千寿先生が個人的に始めたヨーロッパへの囲碁普及活動は、故ハンス・ピーチ、チェコから来たオンドラ君を含めて何度も挫折しながらも脈々と続いています。ことに最近の8年間はフランスに照準を定め、その成果が今回の17歳チャンピオン誕生となりました。碁が強いことは当たり前ですが、英語とフランス語を話せること、ヨーロッパの生活や文化に通じていること、さらに人や組織をうまく組み合わせて活性化させる“プロデューサー能力”と人間的な魅力――、千寿先生の志は、かけがえのない能力と意欲に支えられて続いてきたのでしょう。

 またまた小柴さんを引っ張り出しましょう。小柴さんが学生に教鞭をとられていた頃、東大生を特別扱いせず、大学院にはいろいろな大学から卒業生を受け入れたそうです。事実、“小柴研究室の長男”と呼ばれ、小柴さんに「僕が一番期待していた教え子」と言わせた折戸周治さん(小柴さんの後継教授に就任、故人)は早稲田出身だった。そして物理の世界は早くから本当の意味で国際化が進んだ社会だと思うと、次のように述べています。

 物理の世界では互いにどこの国の人間であるかなどということは、あまり意識していない。どうすれば物事がうまく進むかということの方がずっと大切なことだから。第二次大戦が終わったばかりの1950年代の米国で、僕は敗戦国出身の若造であるにもかかわらず、大きな計画を任された時にそれを強く感じた。ヨーロッパの研究所を回った時にも、日本の東大教授の小柴昌俊ではなく、“一人の物理屋トシ・コシバ”として友人たちから親身に付き合ってもらえた――と。

亜Q

(2005.2.8)


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