囲碁評論

例えば「大阪で生まれた女」とか「qin太の大冒険」とか、かささぎさんががなりたてる歌がこんな風に論評されたらどうだろう。もちろん、“論評”と言うからにはトーシロによるおだてや冷やかし、ほめ殺しでもない。れっきとしたトップクラスの音楽評論家が頬を赤く染めちょっぴり眼を潤ませて、「これこそゲージツ!美しい日本そのものだ〜」と。

もちろん、技術的なポイントは的確に指摘し、心理のひだひだまで微に入り細に入り解説してくれる。「ここでビミョーに音をずらす違いのわかる感性、故意(?)にリズムを早めたり遅らせたりする絶妙な間合い感覚、にぎやかで抑揚を抑えた歌い方が子供の頃の郷愁を誘う、そもそも声そのものが奥深く秘められた人間本来の官能をいたく刺激する」と具体的にわかりやすく説くかと思えば、「かささぎさんはここの歌詞のくだりで、生まれる前の自分、つまり母胎の中での体験を思い出して陶酔していた。後30秒歌い続けていれば(陶酔のあまり)自らあの世へ旅立たれただろう」などと大胆に推理してかささぎさんの平板な歌唱にいわくありげなストーリーを紡ぎ出してくれる。そして最後はもちろん、「かささぎさんの喜びは爆走する、微笑みは追いつけない」などと、小林秀雄センセイみたいにカッコ良く決めるのだ。

かささぎさんは当然のように舞い上がり、海の上をも平気で歩き、雲のかなたまで飛んでいく。これを機に(これ幸いと?)ノーベル物理学賞への夢はかなぐり捨て、精進を重ねて大歌手への道を志すだろう。何よりも、これまでにも増してマイクを決して手放さなくなることは間違いない。

しかし肝心なのは、かささぎさん自身のことなどではなく、論評を聞いた人々(素直な向上心に満ち満ちた清く正しい一般アマチュア)の反応だ。「でも、私のほうがうまいのよね〜」などとおっしゃる方はまれで、ほとんどの善男善女たちは眼からは鱗、口からヨダレ、耳から耳垢を落として感動のあまり涙ぐむ。そしてついさっきまでつまらないと思っていたことに隠されていた美、あるいは真・善を見い出した自分をことのほか喜ぶに違いない。

いきなりこんなたわ言を書き出したのはこの9月、オヤオヤ(大矢浩一)九段が第54期王座戦2回戦「小林覚九段(黒)−片岡聡九段」対局の観戦記を8回にわたって日経新聞夕刊に連載されたからだ。観戦記を書く棋士は案外少ない(私が無知なのかもしれないが)。棋士よりも文士と言うべき独自の味を見せた中山典之六段を別格とすると、現役を引退されて今なお文筆・普及活動に心を込める小西泰三・白江治彦両八段ぐらいだろうか。

オヤオヤ九段もこれらの先輩棋士たちに優るとも劣らない文章力。特に印象深かったのは、最近の心境に触れた初回(第1譜)のイントロ部分。多少圧縮して引用しよう(文中の「/」は改行を表します)。「片岡をはじめ、王立誠、山城宏各九段花の47年組の相変わらずの活躍には感服する。小林(覚)の姉、千寿五段もその一人で、女流タイトルを獲得したり世界を歩いて囲碁普及で活躍している。小林はその2年後の入段である。/ちなみに、その後しばらく停滞(失礼!)したが、依田紀基九段らが輩出した花の55年組というのもあるが、当事者の方には恐縮ながら、こちらはだいぶ散ってしまった。/私もその一人であり、もう何をしてもダメかもしれないが、何とか小さな花でも良いから咲かせたい」——。

第2譜では覚九段の着手・黒23について、「がんばり過ぎかもしれないが、昨今の中国や韓国の碁を見てこう打ちたくなった」との覚九段のコメントを紹介し、「平成7年から三年連続で棋聖戦七番勝負を趙治勲と戦い、妥協しない棋風に変わったようだが、ここに来て更に厳しくなった」と評している。当然白は強い手(白28)で反撃、この時点では控え室の石田章、橋本雄二郎両九段らは「白が少し打ちやすいのではないか」と見たらしいが、オヤオヤ九段自身は「棋風によっては評価が違いそうだ」とかわしている(つまり、自分はそうでないと言っている)。

第3譜では対局者同士の微妙なやり取りが紹介される。相手の覚九段と控え室がそろって予想した白の着手(白44)を、片岡九段は局後の感想戦で「左方の白が弱くなるから打ち難かった」と述懐、覚九段もその場で同調した。しかし片岡九段がいない控え室での局後の検討で、覚九段は「やはり予想した着手の方が良かったのでは」と繰り返し、「自分(オヤオヤ九段)も同感だった」というのだ。

オヤオヤ九段はその後、淡々と技術解説に徹し、専門の観戦記者や先輩棋士たちが築いてきたスタイルを逸脱せず、観戦記をそつなく終了させている。本局は覚九段が快勝(その後挑戦者決定戦で山下敬吾棋聖に敗れた)したが、オヤオヤ九段の敗者へのいたわりや覚九段の戦友への思いやりが全譜を通じて感じられて読み心地が良かった。

しかし私には、多芸多才(歌もうまい!)、棋界随一の情報通とも言われるオヤオヤ九段だからこそ注文したいことがある。それは「観戦記に新境地を切り開く」こと。もちろん、今さら『名人』を著した川端康成にはなれないし、先輩・中山典之六段の薀蓄を持つこともできないし、要領良く技術解説と情景描写をまとめる力でも専門の観戦記者に及ぶまい(と言いたいところだが、棋士の潜在能力はすごい。プロの記者諸兄よ、心してご油断召さるな)。しかし、「トップレベルの棋士だからこそ書けること」があるはず。私の知る範囲で生意気なことを言わせていただくなら、その有資格者は山田キミオ元王座、柳シクン元天元・王座とオヤオヤ九段ぐらい。しかし若い棋士もトップクラスの実績を積むこと、情報人脈を広げること、文章表現を工夫することを心がければ立派な挑戦者・後継者になれるだろう。

観戦記については以前にも書いたが、「トップレベルの棋士だからこそ書けること」とは、とどのつまり“囲碁評論”だと思う。政治・経済・社会、そして芸術の世界に“評論”はつきもの。しかし、囲碁の世界では“評論”はかつてなかったと思う。大半は技術の「解説」であり、盤外を含めた「雑記」であり、ごくまれに読者を酔わせる「文学」にまで昇華したものがあったぐらい。

思い起こすのは、『江夏の21球(だったですよね?)』。それまでの解説や印象記を超える観察と分析によって「スポーツ評論」を確立した。ご存知、「広島—近鉄」の間で戦われた日本シリーズ、1点も与えられない9回無死満塁のピンチ。ここで救援した江夏投手が咄嗟にスクイズを外したりして、広島に日本一の栄光をもたらした。その間の21球にわたる攻防の駆け引きをドラマに仕立てて読者を感動させた歴史に残る記事だから、皆様ご存知でしょう。

この手法を囲碁の世界にも取り入れて欲しい。評論家といえば、ほかの世界では限りなくプロに近い立場からプロの仕事を評価し、一般のアマチュアに解説する人を指すようだが、囲碁界では棋譜を評価し、熱戦をドラマに仕立てて“魅せて”くれることはなかった(川端康成の『名人』やテンコレ文士の名著『囲碁巷談』の“今日の蛤は重い”は例外とします)。それができるのは、きっとトップクラスの棋士だけだろう。

“囲碁評論”に欠かせない第一の要素は、もちろん技術の深い解説。初級者向けの説明は専門誌や書籍に譲り、志の高い構想力や深い読みに裏付けられた攻め合い、しのぎ合いを優先させるべきだろう。第二は徹底した情報収集。前述した片岡—覚戦にも見られたように、棋士の感想には本音と建前が微妙にまぶされている。そこをトッププロの鼻で嗅ぎ分け、日頃の交流を通じてうかがい知ることができる対局者の心理描写にまで踏み込みたい。

そして第三は、ある意味では最も重要な、“ストーリーテラー(語り部)”に徹すること。つまり、1枚の棋譜を物語(セリフのやり取りを主体とした戯曲)あるいは音楽に変換する作業だ。第二で触れたこととは矛盾するようだが、この場合は敢えて対局者への取材を断念し、トッププロが感じ取った面白味を一方的に記して碁の味わい方を披露してもいい。例えば、「この手は相手に有無を言わさず妥協を迫っている」、「堂々巡りして出発点に戻ったのではないか」、「ここで時間をかけたのは、もう一つの道を選ぶかどうか迷ったに違いない」といった具合に、時々刻々の“心理サスペンス劇”に仕立て上げる。もちろん、対局者から見れば“迷惑な曲解” も入り込みやすいが、そこを仕切るのがトッププロだ。

新聞や専門誌から依頼されるのは当然大きなタイトル戦やリーグ棋戦が多いだろう。いきなり“囲碁評論”をかますのは冒険だから、例えば「オヤオヤ九段の名局アルバム」とでも名付け、毎年書き溜めて「名局年史」を紡ぎ上げてはどうか。自動車関連書籍の『間違いだらけの車選び』のように大ロングセラーになるかもしれない。対象となる棋譜はもちろん大きなタイトル戦などにとらわれない。例えば、なかなか新聞紙上には載りにくいシェー・イーミンvs向井チアキといった台頭著しい若手女流同士の決戦。大胆かつ遠慮なく熱い「女の戦い」をドラマにできそうではないか。

ところで、最後に読み返してみると、論評対象として冒頭に記したかささぎさんの喩えは“囲碁評論”本来の方向とは正反対を向いているようだ。棋士の方にはとても失礼だったが、どうぞご寛容に読み飛ばしてください。えっ!かささぎさんには失礼ではないのかと?もちろん彼は私のポン友だし、人一倍「知的包容力」に富むお方だからちっとも心配していません。

亜Q

(2006.10.8)


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