玄妙道策

   酒井猛 九段    日本棋院   1991年

 酒井猛九段が日本棋院の役員を退いて間もなく、縁あって、芝浦の料亭「牡丹」で酒井猛九段と同席する機会があった。
 そのおり、酒井猛九段からこの「玄妙道策」を頂いた。いつか紹介しようと思っていたが、この本はわたしには手強すぎて、どう紹介したらいいのか迷っていた。なにしろまだ眺めただけで読み終わったとはとてもいえない。紹介された13局、一度は並べたいと思っていたが、できずにいるのだ。忸怩たる思いがする(ところで忸怩ってどんな意味?)。

 第一章では道策の特徴を解説している。たとえば手順の妙、普通に見える手でも手順を変えると妙手になる。
 なぜここでこの手をと、プロが見ても打ちすぎと思っていると、何手か進んでみて、その手が生きてきて、ようやく意味が判る。それを打たれた時は気がつかない。

 その辺りを読んでいてある外交官の話を思い出した。
 イギリスの外交官と普通に何気ない話をしている。帰りの自動車のなかで、いきなり冷や汗が出てくる。相手の言葉の本当の意味を、その時になって気がついたのだ。
 道策の相手はそんな気分ではなかろうか。

 酒井猛九段でさえ、棋譜の間違いではないかと思うことがあるそうだ。一見すると損だと思えるが、よくよく考えると実は得だった。そんな手を道策は実戦で打つのだ。
 序盤の十数手は確かに古いと思えるところもあるが、その後の碁の本質的な部分は驚嘆する、という。

 わたしが酒井猛の名を知ったのは大手合い改革案だった。三十年ほど前、タイトル戦全盛の時代に大手合だけで段位を決める矛盾が問題となった。当時改革案を公表した人がいた。それが酒井猛だった。
 その改革案は論理的・合理的であったが採用されず、検討されたのかどうかも知らないが、今では大手合そのものがなくなってしまった。
 わたしは囲碁界にこれだけ合理的に考える人がいるのにびっくりした。囲碁界というのは天才の集まりであるが、それは囲碁の能力に限られる。世間知も天才とはいかない。歌の天才は歌がうまい。料理の天才は料理がうまい。囲碁の天才は碁が強い。一般的に碁界の天才には、その他にも長ける人が多いと思う。中山典之の筆のように。酒井猛は大手合いの改革をも考えられる人だった。
 壊すことは誰でもできる。わたしも某首相も。だが再建することができない。そして再建を考えられる人が能力のある人なのだ。

 この本の内容についてもなんとか紹介しようと思ったが、わたしの手に余る。そこで今回は、文字通り本の紹介だけで、終わりにさせて頂く。
 なお著者酒井猛となっているが、実際にペンを手にしたのは中山典之である。この本は書き直しに次ぐ書き直しで、いつもの10冊分ほどの労力を使うことになったという。

謫仙(たくせん)

(2008.9.5)


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