懸賞打ち 賭碁放浪記  江崎誠致  双葉社  昭和47年

 話は昭和の初期にさかのぼる。
 九州久留米市の碁好きの医者後藤二三六(ふみろく)の家に、書生がいた。
 その書生が主人公の旗謙介である。
 プロ棋士の内弟子として、4年間修行をしたが、騙されて賭碁を打つ。師には叱られたが、それを誤解し棋士修行を断念する。だがもはや帰る家はなく、流れて医師の書生となった。
 ここでプロの賭碁師兵助と知り合い、賭碁の道に入っていくことになるのだ。
 内弟子をやめるきっかけとなった賭碁は、アゲハマをごまかされ、1目勝ちが1目負けとなる。
 賭碁となれば少年にとって大金が動く。目にしてしまった以上黙っていることができない。勝ちを主張したが、すでに勝負は終わってしまっていた。
 兵助との出会いはハメテであった。謙介がどこかで間違えればそこで負けとなるが、正しく打てば、兵助がつぶれる。これを正しく打って認められた。
 医者の二三六のもとに賭碁の話が持ち込まれた。兵助は避けたのに、賭碁には異様な嫌悪感を示す謙介が、打つという。相手は仇らしいと思ったのだ。
 兵助の策戦によって、敵を討つが、同時に囲碁界には復帰できなくなることでもあった。それからの賭碁の修行の物語である。
 目碁(賭碁の一種)を知り、負けてお金を払わないヤツがいることを知り、賭碁師同士の裏の連絡を知り、通しを知る。通しとは脇からの助言のやり方である。敵に知られては困るので秘密のうちに助言することになる。
 表の碁の勝負とともに裏の設営の勝負もある。大金をかけてから相手を出場できないようにして不戦勝、などという手もあるのだ。そうして大金を取られた兵助は、敵を取ろうとする。その相手は謙介には向こう二子だが、三子でなければ打たないという。
 ついに三子で打って、負けを覚悟したとき、相手に失着がでて逆転した。
 また、後にプロになる少年を教えたりする。
 こうしているうちに、徴兵されて、戦線に送られることになるのだった。

 この小説には続きがある。   続 懸賞打ち  昭和48年

 戦地へ送られて11年後、終戦の翌年に、謙介は戦友の妻を訪ねて東京に出てくる。すでに戦友の妻はやくざの親分と再婚していた。
 ここで、インチキ大道詰碁をしている知り合いを見る。
 別なところで珍瓏(ちんろう)を披露する知り合いがいる。
 珍瓏とはおもしろい形になる詰め碁である。このときは地のない碁を披露している。
 戦友の妻の再婚先のやくざのところで賭碁を再開する。後輩もできて、自分の力を低く見せる方法を教える。いざというとき、弱いと見られた方が有利なのだ。
 戦後は戦前とは違った倫理観念によって、裏社会も運営されていた。
 こうして謙介は、戦後の混乱の時代の裏街道を生きていくことになる。

 ここに出てくる賭碁のあれこれは、かなりの部分は著者の創作らしい。
 後に、「通しのやり方、見たことがありますよ」というような話を聞いたことがあるという。作家というものは、頭の中で現実と同じものを作れる人なのかも知れぬ。
 著者はアマでは高段といえる棋力の持ち主、それゆえ何気ないしぐさや言葉にも、迫力がある。碁の弱い人には、決して書けないだろうなと思うところが多く、わたしの好みの小説である。
 なお、晩年の著者は目碁しか打たないと言っていた。その理由には言葉を濁した、というより話さなかったが、推測することはできそう。

謫仙(たくせん)

(2007.4.2)


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