逃げ道

 今の若い人たちと違って、昔若かったオジサンたちには「近代五種競技」なるものが歴然と存在していた。囲碁・将棋、麻雀…後は何だったか忘れたが、あれもある、これもあるという選択肢が少なかった時代だ。映画・演芸も流行り歌・流行り小説もスポーツも同じで、誰もが当然知っていたから共通の話題には困らなかった。

 今回の話も、誰もがご存知だろうという前提で進めさせていただく。プロ野球で、一度は監督をさせたかった人物は誰か。巨人ファンなら黒江、江川、阪神ファンなら江夏、掛布あたりが挙がるだろうか(猛烈な反論を食らいそう!)。私なら躊躇なく元西鉄(今は西武)野武士軍団のリーダー、豊田泰光氏だ。実はこの豊田氏は監督経験のない元一介の選手としては異例の長期間、一般紙(日経)のスポーツ評論を続けており、私はそのコラムの大ファンなのだ。

 競技者として晩年を産経アトムズ(今のヤクルト)で送った豊田氏はスランプに陥った時、「兼任コーチ」の肩書きを利用して自分の練習をテキトーにさぼり、もっぱら体を休めた。曰く、「競技者はいい年になったら猛練習より逃げ道が必要」。体と心が擦り切れている時に、いくらもがいても余計悪くなりかねない。自己に甘えを許さず精進し、今の地位を築いた選手でも、峠を過ぎたら自分をいじめるだけではいけない。自分をいたわることも大事で、どこかに妥協を残しておく。じっくり休んでおいしい場面の代打で活躍するものだから、努力しても打てない連中が面白くなさそうにしていたという。

 休んでいる時に心がけたのは、自分の打撃の理想・右中間への本塁打のイメージトレーニング。実際に球を打つだけが能ではない。活動の拠り所が次第に肉体から脳へと移り、人はベテランになっていく。ただし、「肉体より脳」に逃げていいのは、実戦を重ねひとかどの選手になってからだ――と。この話は現在絶不調にあえいでいる巨人の小笠原、阪神の新井選手らにぜひとも聞かせたい。

 豊田氏は、イタリアリーグのチームは試合後のミーティングで個々のプレーを反省するのだが、最後は「やっぱり悪いのはレフェリー」となってお開きとなる――という、ラグビーの元日本代表、四宮洋平選手から聞いたエピソードも紹介。毎度となると問題だけれど、自分を責め過ぎる傾向がある人は、こんな逃げ道も悪くない、と結んでいる。

 ところで我が囲碁界は、今年始まったばかりのマスターズカップがコーイチvsチクン大棋士の決勝を残すばかりになった。50歳以上の七大タイトル経験者11人でスタートした棋戦は、私が本命視したリッセー&サトルが緒戦でぶつかるなどして去り、結局囲碁史上屈指のライバル同士の激突となった。どちらが勝っても、スポンサーのエステー&フマキラーさんに乾杯だ(敬称略)。

 この新棋戦について、依田元名人・碁聖・十段が「ボクも参加させてもらえるようになったら頑張る」とブログに書かれていた。今年2月で45歳になったばかりだからいささか早過ぎる決意表明だが、新規参入が約束されているのは今年11月に50歳を迎えるオーメン元本因坊・王座だけ。豊田氏の例を借りれば、公式戦の合間に一打でMVPを狙える「おいしい場面での代打」には違いない。とは言え、依田元名人はまだまだ四天王や井山・結城・坂井らの関西軍団に伍してタイトルを争って欲しい私のひいき棋士の一人。新棋戦はまさか「逃げ道」ではありませんよね。

亜Q

(2011.7.9)


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