扇子遣いの好敵手

 "花の70代"を謳歌することなく早世した義兄の書棚から、時代小説、経営書、ゴルフ指導書などの谷間に薄ぼこりを被った棋書を見つけた。書名は「囲碁 美しい感覚③手筋を鑑賞する」(1992年12月日本棋院発行)。義弟の私と同様に俗物根性丸出しで碁も弱かったけれど、「美しい感覚」にはひっそりと憧れの念を抱いていたらしい。そう言えば、日本人のアマ棋客の大部分は「碁が強い」と褒められるより「センスがいい」と言われたほうが、よっぽどうれしいのではないだろうか。

 センスと言えば、千寿会の打ち手、かささぎさんと梵天丸さんは対照的な遣い方を見せる。かささぎさんがこの数ヶ月手放さないのは、「筋場理論」免許皆伝の証としていち早くゲットされた「依田扇子」。対局中、考え深そうな表情で扇子を頬に当てたりちょっと噛んでみたり、さながら法隆寺の弥勒菩薩のよう。言いたくはないが、実にサマになっている。対局後の感想戦では、勝ち碁なら相手の落手をツンツン鋭く咎める錐の如く、負け碁なら自分の頭をボコボコ叩きまくる鉄槌の如く。かささぎさんはまさに"動の扇子遣い"だ。

 これに対して"静の扇子遣い"と称えたいのが梵天丸さん。好局にあってはさらさらと風を送り、難局にあればハラリと広げパチンと閉じる動作を静かに繰り返しながら熟考に及ぶ。何よりも、勝負を決める所作がことのほか美しい。「ホッホッホ」とついついほころびそうになる口元をたおやかに左手の扇子で隠しつつ、右手の小指をツンと突き上げて「勝ちました」と着手。止めを刺された私もつくづく見惚れてしまうのだ。勘三郎だか猿之助だかを贔屓とされる梵天丸さんは毎月歌舞伎座に通われているが、その際優雅な扇子遣いも研究されているらしい。私には梵天丸さんが現代の「在原業平」、いや「梵天麿」さんの如くに見えて仕方がない。

亜Q

(2013.7.15)


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