猛父健在・その1

小林正義・健二父子
小林正義・健二父子

白いシャツ、ブラウン系のカジュアルスーツに上品なタイとハンチング。 渋い。ファッションコーディネーターは間違いなく長女千寿さんだろう。 「七人の刑事」で知られる名優、芦田伸介を一回り小柄にした感じ。 小林正義氏。大正11年生、今年傘寿を迎えるはずだが60代に見える。

正義氏は大学に進学した頃、花月園で開かれた碁会で3位に入賞した。 その時の審査委員長、木谷実九段が彼の素質を見抜いて弟子入りを誘う。 迷った末に棋士より勉学を採った彼は仕事に勤しむ傍ら子供に夢を託す。 そして4人の子供(千寿、孝之、健二、覚)をすべて棋士に育て上げた。

偶然の機会を得て、私はこの猛父にお手合わせいただいたことがある。 舞台は平田博則さんを中心にした勉強会、年齢も棋力も様々だった。 周囲は皆知っていたが、彼はプロ棋士の父親であることを隠していた。 覚九段が当時最強の趙治勲棋聖に初挑戦する直前だから7、8年前だ。

勉強会での手合い割は私の3子。今思えば明らかに手合い違いだった。 布石の段階で彼は同じ所を続けて打たない。石をパラパラ散らしていく。 小林兄弟が師事した岩本薫流豆まき碁。ほとんどすべてがノータイムだ。 下手にとってこれほど困ることはない。長考しまいと焦るが、苦吟の連続。

結果はもちろん私の完敗。しかし2戦目で思いがけないことが起こった。 無我夢中で放った天狗の鼻ヅケ一発で、大石の攻め合いを私が制したのだ。 「君の棋力からして、この手は良くぞ発見した」と変な誉め方をされた。 そして序盤のポイントとなった大斜定石のハメ手をていねいに教えてくれた。

時は移り2002年を迎え、千寿会で猛父に恩返しする絶好の機会を得た。 千寿会で鍛えた私は当時より2目以上強くなった(と確信している)。 インターネットの囲碁データベースの棋風占いでは堂々「小林覚度90%」! 失礼ながらいかな猛父でも寄る年波には勝てまい。黒番の私に利はある。

(以下、猛父との戦いは「その2」に続く)

K

(2002.4.10)



もどる