2013ファンフェスタin箱根-Second

 今年の6月に四段で優勝して、今回は五段で参加することになった。家賃が高くてどうしようもないが、こういう大会で少し強い人と対局できるのはありがたい。めったにない機会だ。結果は2勝4敗。1勝は相手のミスによるもので、実質は1勝5敗だ。
 今回は女流棋士が多かった。それなので女流棋士を中心に紹介する。

時 12月6日~8日
所 スコーレプラザホテル(ホテル富士箱根 別館、いつもの所です)
  小田原と三島に集合、バスで送り迎え
指導プロ棋士 孔令文七段・倉橋正行九段・下島陽平八段・瀬戸大樹七段・謝依旻六段・山本賢太郎五段・下坂美織二段・万波佳奈四段
特別ゲスト 黒嘉嘉(Hei1 jia1 jia)六段

 前回、孔令文さんから黒嘉嘉さんを招待するつもりと話があった。今回の案内状にも「台湾の……」とあった。それでわたしたちは知っていたのだが、黒嘉嘉さんが12月2日にフェイスブックに「後天和依旻姐姐到東京~~」(あさって依旻姉さんと東京に行く)と書いてあるのを読んで、黒嘉嘉さんが本当に来ることを実感した。


 開会式、黒嘉嘉さんの挨拶を翻訳する謝依旻さん。

 第1局目は白番、盤十くらいの差がどうしても縮まらない。最後まで、勝ち目のない碁であった。
 2局目まで間があるので指導碁会場に行く。わたしは早打ちなのだ。
 黒嘉嘉さんが3人を相手に打っていた。間もなく1人が終局し、依旻姐姐が講評を訳す。空席になった。さっそく申し込んで、(事務局の管理で有料)指導碁を打ってもらう。


 黒嘉嘉、美人ではあるが「かわいい」が先に立つ。現在19歳。
 孔令文さんが6月に「くろ・かか」と言ったので、会場ではそう呼んでいるひとが多いが、「こく・かか」の方が自然。中国語読みでは「Hei1 jia1 jia」だが、台湾でもこれでいいのかな。
 請多多指教。
 指導碁には慣れていないらしい。相手のレベルに合わせて打つのは上手くないようだ。容赦なく打ってくる。
 講評では、依旻姐姐を呼ばずになんとか。

白黒の手談を交わす思い出は 君には一局我には一生  謫仙盗作改作


 夕食後のトークショー、面白かったがここで再現できない。

 謝依旻さんの指導碁を受ける。終局のころには左右に人がいなかったので、少し話ができた。
 台湾ではこのようなイベントがないので、jia1 jia(黒嘉嘉)に体験させたかった。本人も乗り気だったという。


 2日目の朝、外へ出る。
 低いとはいえ山の上。流石に寒い。草の上に霜が降りていた。氷もあったが、陽があたると瞬間に融ける。


 山茶花を一輪。あちこちで咲いている。
 午前中に一敗一勝。
 この一勝は相手が間違えたもの。わたしの二箇所の大石が死にかけ、無理やり2劫に持ち込んだら、相手が勘違いして、劫をついでしまった。この劫に勝っては二箇所とも生きて大逆転。間違いを指摘したら相手は投了した。

 久しぶりに孔令文さんの指導を受けた。やり過ぎて自滅したが、「布石がかなりよくなってきた」と講評を受ける。よく記憶している。なにしろ小学校低学年で数学オリンピックの銀メダル。雲の上の存在だ。それでいてわたしのような凡アマにも熱心に指導してくれる。
 第五回ふれあい囲碁大会(ファンフェスタの前身)では三十数面打ち。それを全部覚えていて解説していた。
 今でも忙しく飛び回っていて、この大会が終わると、すぐ中国に跳び2日後に黒嘉嘉さんと会うとか(閉会式の挨拶)。

 万波佳奈さんが日帰りながら登場した。
 この日、昼食後、女流棋士たちの特別取材があった。詳しいことは覚えていない。
 わたしは午後の2局目、最終局にしてようやく一勝した。(形の上では二勝目)


 2日目、宴会の夕食。食べ終わるとプロ棋士のゲーム。


 一番左はおなじみ万波佳奈さん。
 何をするかというと、男女で別れてチームを組み、ある場面でどの手を選ぶか。その理由(2分間)と相手への批判(1分間)。例えば、
黒「その定石は古い、化石のようなもの」
山本「化石かも知れませんが、判りやすい。皆さんならこう打ちませんか」
 ファンの拍手で勝敗を決める。


 下島さんが考えたという、十三路盤に黒が八子置いてここで白が生きるかどうか。黒がもう一子加えると白は生きられないという。これは女性が黒、男性が白で連碁対決。

 3日目、朝食後、手空きなので早めに指導碁会場に行き席を確保。待ち時間が長いので、Aさんと対局しながら下坂先生の登場を待つ。
 

 11時過ぎの閉会式での下坂美織二段。英語も話せて、トークショーの時は黒嘉嘉さんの通訳をやったりした。

 今回はアマの人たちでもびっくり。孔令文七段のご子息、山下九段のご子息その他で、同じくらいの年齢(小学生)の少年が、3人とも上位のクラスで賞を受ける。それも圧倒的。
 第七回2005年6月のこと(8年半前)、孔令文さんの奥様が生まれたばかりの子を抱いて来たことがある。この子がここまで成長した。

 わたしたちは七名が参加したが、そのうちのひとりはアマではトップクラス。微妙な立場である。指導碁は受けなかった。事務局の人は知らなかったが、プロ棋士は知っている人がいたと思う。
 もし一番上のクラスで出たら、優勝したら名前をカップに書かれるので「味が悪かった」かも知れない。

謫仙(たくせん)

(2013.12.13)


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