ふれあい囲碁大会で“愛人づくり”

女流ペア対重鎮ペアのお好み対局
21世紀初めの2001年、笠井浩二六段(年内には新七段になるはず)が大学の後輩から「財団法人中小企業リクリェーションセンターの予算が余ったので使い道を考えて欲しい」と頼まれた。さっそく日本棋院の後援を得、同センターが持つ箱根の保養・研修施設を使った「ふれあい囲碁大会」を手づくりした(本サイト雑記帳にいくつか関連記事など)。看板棋士には「自分の頼みには断れない関係」(笠井新七段)にあるという元棋聖タイトル者・覚九段を招く。後に息子となる孔令文四段(現五段)と3人で「指導碁打ち放題」を謳って口コミで参加者を呼びかけた。とは言っても、準備期間はわずか1ヶ月ほどだし宣伝する予算はない。初回の参加客はわずか20人弱のスタートだった。

参加客はその後、翌年の第2回が40人、私がかささぎさんや千寿会の姉妹組織ハッピーマンデー会員の若き女性連と初めて参加した2003年の第3回から年2回開催になり、以後60人、80人…と増え続け、めでたく第10回記念大会となったこの11月には200人に膨れ上がった。指導棋士も増え続け、前記3名と伊瀬・木下の夫婦インストラクターのほか、常連の倉橋正行九段、下島陽平七段、瀬戸大樹六段、武宮陽光五段、さらに松本武久新人王(大会前日の碁聖戦本戦で敬吾棋聖を破ってベスト8入りを果たして登場)、井澤秋乃三段、万波奈穂初段(中国との女流対決で欠席された佳奈女流棋聖の代理だが、今後常連になりそう)が初参加された。

リピーターと口コミに支えられてここまで発展した本大会は、関西の事情にも詳しい倉橋九段によると名実ともに「日本一の囲碁大会」になったようだ。そう言えば、本サイトを覗いて参加された人が少なくとも2名はいるし、私が誘った勤務先の同僚も3人ほどいるから、この私もちょっとした貢献者。連続8回も参加したのに優勝経験が1回しかないのはきわめて心残りだが、そんなことよりも私にはもっとレベルの高い目標がある。本サイトを覗いてくれる賢い変人諸兄にそっと打ち明ければ“愛人づくり”。既に実績もある。京都の人妻きよ子二段、相模大野のメリーウイドー・洋子級位者らとは既に抜き差しならぬ“愛人関係”だ。

会場の富士箱根ランド・スコーレプラザホテル

もちろん、今回も成果は上々。まずはブーツがよく似合うスマートな啓子嬢。東京でIT関係の仕事に従事されている傍らインターネットで碁を覚え、2年半ほどの間に“強い五段”(私には六段に見える)にまで駆け上った天才女性だ。教えを受けた尾越一郎七段の教室で、今ではアシスタント役も務めているそうだ。

もう一人は、きよ子愛人から紹介された富山にお住まいの和子さん。10年以上前に最愛のご主人に先立たれ、その後長寿を全うされた実の母親を見送り、独りぼっちになった70歳で新聞の囲碁サークル(週1回)に入会して碁を始め、9年後の今年初めて参加した本大会で級位者クラスとは言え6戦全勝で見事優勝に輝いた。「暇だから毎日3〜4時間は棋書を広げたり碁石をつまんだりしている」という勉強家。学生時代は暗記科目が得意で片っ端から覚えたと言うから、学業も優秀だったのだろう。

こんな話をする時、和子さんは少女のように可愛らしい表情を見せる。「としとしに我が悲しみは深くして いよよ華やぐいのちなりけり」——。時がめぐる中で私の悲しみは深まるばかりだが、どうしたことか、私の命はいよいよ華やいでいく、と詠った岡本かの子の世界そのものではないか。だから私の“愛人リスト”は年齢、地域を超えて膨らんでいく。

最後に“愛人”ならぬ“異人”をもう一人。本大会の碁敵、細野五段が連れて来たチリのレオナルド・アベリオ・セプルベダ・ドノソ二段(後の二つの名前は父方・母方の姓を表すらしい)。流暢な英語を操る細野氏に通訳してもらって聞いたところ、レオナルドは将来工学技術者を目指す16歳の高校生。11月18、19の両日、東京・千鳥が淵のホテル・エドモンドで開かれた国際ペア碁選手権戦に参加(残念ながら1勝3敗)、その後日本棋院で孔令文五段の特訓を受けるなど満を持して本大会に挑んだ。結果は二段クラスで見事全勝優勝!故岩本本因坊以下、チーママや重野由紀二段が各地で蒔いた種が実を結びつつあることを実感させてくれた。

亜Q

(2006.12.2)


もどる