勝手読み・笠井プロ評 −ふれあい囲碁大会から−

笠井先生の講義風景

いきなり黒石を2の二に置いて問いかける。 「次の白第2手はどこに打ちますか?」 すぐに会場から声あり、「3の三!」 さっそく黒3手目以降をさらさら並べる。 黒は何とか生きるが、当然ながら外は真っ白。 「初級者向けの講座か」と私はあくびをかみ殺す。

講師の笠井プロは素知らぬ顔。 「これは中でもがこうとする黒3が悪いのです」 「黒3を4の四、星に代えたらどうかな?」 何やら五目並べのような珍形。 今度は白が出口を求めて低位を強いられる。 ま、私などから見ればごく必然の進行である。

「では、白2はどこに打つべきでしょう?」 会場は一瞬静まり、「4の四だろう」との声。 そこで笠井プロはニヤリ、「違います」。 「局面の進行を見ながら、後で決めればいい」。 ざわつく会場に「放っておくのが一番でした」。

何だかだまされた気分だが、思い当たる節がある。 相手の悪手に喜んで、すぐにとがめようとする。 小さなところで、つい妙に力みかえってしまう。 級位者から高段者まで共通するアマの欠点ーー。 苑田プロが言う「美人は追わず」に通底する。

棋力に左右されない教訓を残して彼は石をしまう。 「これはほんの枕です」と余韻を残し、 インストラクターの本講座にバトンタッチ。



一時はプロボーラーにもなろうかと思った笠井プロ

風変わりな講座が得意の笠井プロは指導碁でも変化球が多い。 相手の期待を棋力に応じて察知し、必ず外してくる。 「覚九段はアマがきちんと打てば負けてあげる」 「僕は勝ちにいく、アマの欠点を具体的に指摘したいから」。 アマから見れば、覚九段は“ほめ上手”、笠井プロは“鬼教官”。 ディテールは追求せず本筋をうまく打てれば自信をつけさせる覚流。 終局まできちんと打てなければ、めったにご褒美は出ない笠井流。 (ちなみに孔令文四段は笠井流に輪をかけた“懲らしめ流”でした)。

笠井浩二六段は昭和22年生まれの第1期団塊世代。 4歳で将棋、5歳で碁を覚え、すぐにのめり込んだ。 父親の棋書を読み漁り、難解な漢字や文語文などもついでにマスターしてしまう。 弁護士でありながら囲碁雑誌「囲碁世界」を創刊した父親の影響かもしれない。 (藤沢秀行名誉棋聖も碁の新聞を創刊したが早々に廃刊している)。

そして10歳の頃には天才ならではの決意を固める。 「東大に入って弁護士になり、棋士にもなりたい」。 さらに「結婚の仲人は法曹界のリーダーに頼む」。 何と、この途方もない夢がすべて実現してしまう。 大学在学中にプロ棋士に入段、手合いをこなしながら30歳で司法試験合格。 (1/4世紀ほど前、全国紙がいっせいに紹介したからご存知の方も)。 仲人は現検事総長のT氏。長女は大学3年、長男は高校3年。

「碁も学校の勉強も大好きだった」というこの天才に私は嫉妬した。 「そもそも弁護士なんて最も杓子定規な職業ではござんせんか?」 私は何事もアバウト流、性悪説の法家より性善説の道家を好む。 笠井プロは余裕の笑顔、「いえ、それはむしろ正反対でしょう」。 キッパリと否定されると、私は途端にその気になってしまう。 「そう言えば法律の解釈などは最も知的かつ人間的な作業かも」。

私はさりげなく話題を変える。「信頼する棋士仲間はどなた?」 「私より若いところでは覚君や片岡(聡)君、同年代では酒井(猛)君」。 即座に名前が挙がるのは、背骨がしゃきっと筋を通す人ばかり。 そして聞きもしないのに、「長年棋院を牛耳ってきたO氏とは犬猿の仲です」。 私は棋士の方をほとんど存じていないからわからないが、 少なくとも笠井プロは侠気(おとこぎ)のある正義漢と言えるだろう。 「ふれあい囲碁大会」この人あってこそ、骨格が定まったのだろう。

亜Q

(2003.5.24)


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