時間つなぎ③「この若造だけには負けられない」

碁にのめりこみ始めた15年ほど前、碁会所や公民館などで牢名主のような強豪たちにずいぶん可愛がって(いたぶって)もらった。概ね私より10年ぐらい年上。私が打つ手などハナから想定内。シタテがいやがる手ばかり繰り出され、1局終わるとへとへとになった。それでも終局後に丁寧に手直ししてくれたり、休日の1日をマンツーマンで特訓してくれた先輩もおられた。

こうした良き先輩と千寿会の皆様のおかげで、今は強豪たちへの置き石を減らし、たまには互角に打てるようになった。何より、昔感じた怖さがかなり薄れてきたのがうれしい。中には、いつもは早打ちなのに私相手になると序盤から1手1手考えながら打ってくれる人もいる。しかも手合い条件も他の場合より1子分自分に厳しくして。だから率直に言ってかなり打ちやすい感じを持つことが多い。中盤の入り口ですでに「この碁は終わった」と思うことさえある。

しかし、こんな碁ほど負かされる。まさに蟻の一穴のようなところからガラガラに崩されるのだ。この人は私より7歳ほど年長、大学囲碁部で強くなられた県大会の常連。定年後は地元の碁会所で低段クラスまでを対象にした囲碁教室の講師もされている。この人が私を指して「遅く始めたK君(亜Q)に簡単に負けるわけにはいかない」と言っていたと、別の人から聞いたことがある。こんな私を意識していてくれたとは、ザル碁冥利に尽きる。私も年をとるが、彼もまた年をとる。いつの日か、黒番できっちり勝たせていただくことができれば、最高の恩返しになるだろうが、チト無理かな。

棋聖戦最終予選決勝 180 (122), 214 (135), 215 (114)
(読売新聞より転載)

愚にもつかないこんな与太話をしたのは、棋聖戦最終予選決勝で高梨聖健八段が宮沢吾朗九段と対決した棋譜を主催紙の読売新聞で見たから(第1〜7譜)。黒番を当てた貴公子が右上隅小目に置いた黒1に4分、対する白番の宮沢九段は左上14−三に置いた白2に21分かけた。観戦記のベテラン、赤松記者は「宮沢は盤上に没入するタイプ。あるいは、はやる闘志を抑えようとしていたのか」と記述している。

解説は関西棋院の円田秀樹九段。両者が時間をたっぷり使い合って中盤の入り口にさしかかった黒27までの局面を「黒が打ちやすいのでは」と遠慮がちに指摘されていた。ところが「宮沢は乱戦志向。白28と右辺を挟んだ手を境に戦線を拡大していく」(赤松記者)。その後の推移を記事から要約してまとめることなど、ザル碁の私にはできっこない。ただわかるのは、吾朗九段が(善悪を超えて)終始かく乱戦法を繰り出して貴公子を挑発しているように見えたこと。自らの薄味には目もくれず、相手の意表を突くことしか考えていないようにさえ私には思えた。

この碁の持ち時間は5時間。国際棋戦と比べれば長いが、勝つと負けるとでは天国と地獄に分かれるリーグ入りを賭けた両者には無我夢中のわずかな時間だったかも知れない。「形成利あらず」と見ていたらしい吾朗九段が紛れを求めて「これしかない手」を矢継ぎ早に繰り出して必死の追及を見せる一方、「どう打っても形勢は悪くない」と思われる貴公子の着手は少しずつ伸びを欠いたらしい。中盤過ぎから貴公子が常に30分ほど白より多く時間を消費する中で黒は何度も勝ちを逃し、その挙句「黒137(13−二)が敗着で白の逆転勝ち」(赤松記者)。終局後、ひと言も感想を言わずに貴公子が立ち去った(つくり笑顔の感想戦は貴公子には似合わない)後、吾朗九段は「(白は)バラバラになってつぶれていた。最後はこれしかないという勝ち筋に入って…」とうれしさを押し殺すように振り返ったという。

私の興味をひかされたのは両者の対戦成績。この対局まで貴公子の2勝1敗だったが、この2勝はいずれも吾朗九段の時間切れ負けというのだ。プロたる者、手合い時計を押し忘れることはあるまい。もともと“没入型”の吾朗九段が貴公子に対してはさらに感情を入れ込んで、まさに無我の極致に陶酔してしまうのではないか。これはいったい何だろう。

吾朗九段は今年11月に還暦を迎える。風貌は最近亡くなられた俳優の緒方拳さんを少々崩したようないかつい(男っぽい)感じ。北の漁場の大時化(しけ)の海で、愛息のさかな君と共に小さな親子舟を操る姿がぴったりくる。対する貴公子の印象は正反対。スラッとした現代風イケメン、棋風も覚さん譲りの正統派。文章を書かせればなかなかいけるし、歌もうまい。吾朗九段が貴公子を「オレとはまるで違うタイプだが、外見に似合わずなかなか碁がしっかりしている」と認めていたなら、「この若造にだけは負けられない」と思っても不思議ではない。

貴公子は最近、「“好き”の反対は“嫌い”ではなくて“無視・無関心”」とブログに書かれていた(気がする)。裏返して見れば、相手を意識するのは“好き”の証拠。とすれば、貴公子に対する吾朗九段の“意識過剰”は多少ノーマルではないかもしれないが、男が男に惚れた一種の“片想い”ではないか。貴公子にとって今回の敗戦は悔やみ切れない痛みを伴ったと思われるが、碁の勉強と相まって人間的な魅力をさらに磨き上げていかれれば、きっと近い日に大きな実りを手にされるだろう。この5月で38歳になられる貴公子はいまだに独身。きっと、飛び切りの大器晩成タイプに違いない。

亜Q

(2009.4.29)


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