棋友

 小林千寿先生は、週間碁(新聞)に毎回エッセイを寄稿している。この時点での最新号では、欧州に集まった素粒子理論の学者の集まりの話。欧州に巨大な加速器があり、素粒子の研究には欠かせない。この中に千寿会会員の小林教授(東大)がいて、小林教授に加速器の話を聞いたとか。

 わたし(謫仙)はその小林教授と対戦。前回まで三子置かせて一勝一敗であるが、今回は二子で白がコミ出しにした。それが勝利が決まったと思った瞬間に大失着をして稲葉ウアー。打った瞬間に失着に気がついた。
 そのあと、Aさんに三子置かせて大勝利。A教授も原子力の大御所なのだが、もちろん碁を打っているときは、そんなムードはない。
 東大の仇をA大で討ったような話。

 それから元アマ女流チャンピオンのOさんに2子局で教えて頂く。
 今回かなりうまく打てて、もう少しという所までいけた。わたしの力ではそうなることはありえないと、油断をしていたらしい。もっともOさんは細かいながら勝ちが見えていたので、強手を打たなかったということもある。
 これは名局だとお褒めの言葉を頂いた。Oさんがお世辞を言うのは初めて聞きました(^_^)。かささぎさんに言わせると、Oさんには碁で負けて、その後の感想戦でも負かされる、一局で2回負けるそうだ。

 二次会では、ちかちゃんの苦労話やお色気話を聞いた。
 挿絵画家で一世を風靡した人である。小説を書く人は判らないときは、その描写を避けたりして、逃げることができる。だが、絵は逃げられない。そのため膨大な資料を集めた。
 たとえば、帯一つでも家康の時代と家光の時代は違う。女の帯の締め方も、江戸時代は胴に巻いたが、戦国では男と同じく腰に巻いた。
 島田(ゲイシャワルツで揺れた髷)でさえ時代によって変わっているので、時代小説は確認しなければならない。
 松本清張の小説で旅行の話があって、そこへ旅行して、絵を描いたところ、松本清張が大変喜んでくれたとか。作家によっては、その苦労が全然判らない人もいるとか。出版社でも判らない場合が多く、しかし読者の目は鋭いので手が抜けないとか。作家にはいい加減な者もいて、描くのに困ったとか。
 江戸時代は月代(さかやき)を剃っていたが、これは本来兜を被るためで、実際に兜を被った戦国時代は大きく剃って坊主に近かったが、江戸時代は形だけになり、細くなった。

 女にしてもチラリと見えるから色っぽいのであって、大胆に見せてしまっては色気がない。それは下着の着用による。昔は下着を穿いていなかったので、大胆なポーズはできない、隠すことに注意した。そこが色っぽいのだという。洋装でも中国服(満清服=チーパオ)でも同じ。(そういえば、ミスユニバースなどのドレス姿では下は穿いていないという)
 ガングロに至っては色気もなにもない。

 わたし(謫仙)はガングロは色気を拒否した姿ではないかと思う。今まで男の観賞物とされていて「士は己を知るもののために死に、女は己を愛するもののためにかたちづくる」といわれたが、それを拒否したのがガングロであると。

 思わぬ話をいろいろと聞くことができました。

たくせん(謫仙)

(2006.4.27)


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