たかが挨拶

松本武久新人王(ふれあい囲碁大会で)
 12月9日に行われた名人就位式。師匠シューコーの臨席の下、高尾新名人は「名人を獲ったら、師匠に初めて競輪に誘って頂きまして、やっぱり名人というタイトルは偉大なのだと思いました」と聴衆の笑いを取り、続いて「初めて入れたリーグなのでなんとか残留したいと思っていたら出だしから三連勝。ひょっとしたら挑戦者になれるのではないかと不遜なことを考えていたらバチが当たって二連敗。そこで、当初の予定通り目標を残留に戻したらあと三局勝ててしまった」とリーグ戦を振り返った。会場では「高尾さん、トボけた味を狙ってますな」などと、新名人の口上はなかなか好評だったようだ。

 さらに祝辞に立ったシューコー先生がいい味を加えたらしい。「今回の名人戦、高尾君は辛抱に辛抱を重ねて勝ったと思います。そこで私は言葉を考えた。『くつくつしん』。『くつ』は屈む、屈するの『屈』、『しん』は伸びるの『伸』。それで『屈屈伸』って書いてね、今日持ってきたんだ。.あれ、取ってきて」とスタッフに頼んで、壇上で書を披露(大拍手)——。

 大きなタイトルの就位式はもちろん、ちょっとしたプロアマの集いでも、挨拶の良し悪しはとても大切だ。一つの挨拶で会場内の聴衆が一体化してとても盛り上がることもある。そこで思い出すのが、7、8年前の、確か敬吾棋聖・王座が初のタイトル「碁聖」を獲った時だったろうか。何代か前の当時の東西棋院理事長の話を聞き比べる機会があった。いずれも財界のお偉いさん出身者。大勢の前で話す機会は多かったろうし、お手の物だったはずだが、日本棋院理事長の話はまるで記憶のひだに引っ掛かっていない。しかし関西棋院理事長の話はしっかり覚えている。

 メキメキと頭角を顕してきたころの敬吾さんが関西で手合いがあり、清成九段以下、関西棋院の錚々たるメンバーが終局後に一席設けて彼の話を聴こうと手ぐすねを引いて待ち構えていた。しかし彼は「勉強があるから」と言ってさっさと新幹線に乗り込んでしまった話、さらに理事長が上京して緑星学園を主宰する菊池康郎氏から若手の教育論を聞いていると、当時既に一流棋士の仲間入りを果たしていた敬吾さんがしずしずとお茶を運んできて正座して差し出した。理事長がびっくりして菊池氏に尋ねると、学園で修行している棋士は、実績に関わりなくすべて当番制とのことだったらしい。敬吾さんがタイトル者を目指して菊池師匠の教えを忠実に実践していた姿が髣髴とする。

万波奈穂初段(ふれあい囲碁大会で)
 近頃の若い人は一様に挨拶と歌が上手だ。ただし「上手」と言っても、アナウンサーや流行りの歌い手みたいな意味。自分が使える時間を賢く計算し、軽く笑いを取って次にバトンタッチ。まさに「予定調和」そのものであり、当方の心に伝わってくるかと言えば少々怪しい。

 口やかましい(耳やかましい?)私ほどのベテランになると、短い時間でも挨拶する人の“味”を出して欲しい。達者な挨拶ばかり見聞きしていると、例えば松本武久新人王のやや顔を赤らめて語る初々しい姿や、瀬戸大樹・第1回U20タイトル者の訛り交じりの訥弁がゆかしく思えてしまう。

 とは言え、いつまでも初々しかったり、訛り交じりの訥弁というわけにもいくまい。私見では、挨拶には3つの要諦があると思う。まずは“情報”。高尾新名人や先に触れた関西棋院理事長はネタをうまく使った例だろう。次は“想い”。松本新人王は挨拶の時ではなかったが、「一番欲しいタイトルは世界戦」と私に話してくれた。若いうちは大風呂敷でもいいから、なるべく本音をさらけ出して欲しい。

 最後は“感謝”。今の日本には、秀策を庇護した「三原の殿様」や日本棋院育ての親「大倉喜七郎男爵」はいない。大資産家ではなくても碁を愛する普通の人々が棋士を支える。「皆さんから元気をいただく」と常々口にされる覚さんや、日中女流決戦に出場のためアマとのふれあい囲碁大会に参加できなくなって妹のナオさんに「ファンへのメッセージ」を託したカナたんらが“感謝の心”を挨拶で伝えるよき実践者だろう。

 ところで、新年早々、私に挨拶せよと言う話が舞い込んだ。“情報・想い・感謝”をいかにまぶして聞く人の琴線を捉えるか。私ぐらいの年配になると早口は最もいけない。聴く人の反応をうかがいつつ、ゆとりを持って臨みたい。小さな宴席ではあるが、私には久しぶりの舞台。さっそく筋書きを書いて古女房がいない隙に練習してみる。と何と、30分以上もかかるではないか。これでは結婚式の乾杯の挨拶で45分間も話し込んだと言われる「qin太伝説」と同じ轍を踏んでしまう。

 たかが挨拶、されど…難しい。

亜Q

(2006.12.10)


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