予定調和

久しぶりにフィリップ・トルシエ監督の消息を目にしたら、また解任の知らせ。日経新聞夕刊「ピッチの風」(武智幸徳氏)によると、昨年暮、モロッコ代表監督の座を在任期間わずか2ヶ月で追われた。2002年の日韓ワールドカップ(W杯)の後、日本を去ったトルシエ氏は、カタール代表、フランスのマルセイユ、そしてモロッコ代表監督の任を立て続けに解かれたことになる。

でもこれは彼にとっては「想定内」だったかも。何せ日本に来る前にも、彼の仕事は概ねどこでも短期で終わっていたから。他者との衝突を恐れない自らの性格を「でこぼこの悪路」と定義し、「それは見ればわかることだから、運転する側も注意すべきだ」と常々言っていたらしい。性格を改める気なぞ毛頭ないのだから、雇い主との決裂はいつも時間の問題だったかもしれない。

以上を踏まえて武智氏は、トルシエ氏が4年間働けた「日本の特異性」に言及する。ほかの国やクラブが持て余し、さっさと放り出した問題監督が所定の目標を果たし任期を終えるまで、なぜ付き合えたのか。これは日本人の寛容、忍耐力、鈍感、意気地のなさ、いったい何を示すのか、と。

さらに武智氏は、そうした日本人をトルシエ監督がしばしば批判していたことを不思議がる。「車が来ないのに赤信号だと道路を渡らない。臨機応変でない証拠」などと彼がこき下ろしていた日本人なればこそ、その心性の中にトルシエ氏を受容する何かを持っていたはずだから、というのが武智氏の疑問の根拠だ。

現在のジーコ監督は「自由を選手に与えた」と言われる。トルシエからジーコへ激変した指導方針に対して、中田英らごく一部を除いてほとんどの選手は戸惑い、右往左往しながら適合しようと懸命に務めたらしい。武智氏はこうした姿勢を「あなたの軸はどこ?」と背中を蹴っ飛ばしかねない一方で、「健気(けなげ)と言いたくなるほどの柔構造」と評価(?)して、これがどんな監督が来てもジョイントできる“融通無碍の源泉”かもしれないと示唆する。

そう言えば昔、原子力発電技術を導入する際、ドイツ(KWUなど)はすべて解体してゼロから再構築したのに対し、日本はそのまま丸呑みしてすんなりと実用化したらしい。直感的に正しそうならいちいち検証する手間を省いて素直に受け入れ、国内での応用・普及に力を入れた日本に対して、ドイツは徹底的に基礎からたたき上げ、その結果、南米などへの技術輸出に結びついたと言われる。

日本人のこの気質は碁に対してはどう影響するだろう。私が愛読するhidewさんの「Voice ofStone」に、こんなやり取りが載っていた。

素材は「囲碁端会議室 [11775] 2005/11/28(既に閉鎖)」への下記の投稿。
——韓国棋士特有な「撹乱戦法」は、今の若手によりますますグレードアップ。これは深い計算力と瞬間の判断力をバックグランドにした、ハイリスク、ハイリターンのような盤上でのギャンブル行為だ——。

この意見に、hidewさんは次のように同調している。——現在の韓国の芸風を実に的確に言い表していると思う。中国も古力、羅洗河などかなり激烈な芸風である。日本だけがおっとりと予定調和的な碁を打つのは国民性なのだろうか——。

フーム、「予定調和」とはまさに言い得て妙。hidewさんは梅沢由香里姫と生年月日が同じ若き「論客」だが、むしろ「詩人」なのかもしれない。ただhidewさんは日頃、日本は韓国、中国に比べて戦闘力が弱く読みの詰めが甘いと嘆じておられるから、「予定調和的」とはぎりぎりの追及や面倒ごとを避け、その場限りの追随に終始するという印象で使われているようだ。

しかし私は「予定調和」をむしろ良い意味で受け止めたい。そう、「直感」「手抜き」「ダメ詰め嫌い」は日本人の誇り。ほとんど検証らしいこともしないで、神でも仏でもキリストでも何でもそのまま受容してきたではないか。今さら韓国、中国、あるいはドイツの真似をしても得るところは少ないはず。「予定調和」の心性を他国と差別化すべき長所と位置づけて、いつの日か韓国・中国に大逆襲する夢を追い続けるのは、ノーテンキと頑固さを日々積み上げている老化の証拠かな。

亜Q

(2006.1.19)


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