「夢だけは負けず」〜小松九段の長男が銀座バー三代目店主を襲名

小松春樹氏(左)と千寿先生、背後霊は著者

 不惑を過ぎて今やベテラン実力者の仲間入りされた小松英樹九段と姉さん女房の小松英子三段のおしどり棋士のご長男が、東京・日比谷界隈でオトナ向けのバーを展開する「日比谷バー」の銀座店主「三代目 小松春樹」を7月1日に襲名された。折から、太宰治や坂口安吾らの文豪に愛された老舗バー「銀座・ルパン」の名物マスター、高崎武氏が18日に82歳の天寿を全うされた。春樹さんは高崎氏と入れ替わるように、本場・銀座でカクテル道を究めていかれるに違いない。

 所は、阪急とソニーのある銀座4丁目交差点から電通通りを南下して旧電通と交詢社通りに差し掛かる少し手前、瀟洒な銀座美術館ビルの5階(東京都中央区銀座6−5−3、Tel03-3573-7170)。26日の千寿会が退けた後、千壽先生に案内されて会友ら10名近くが二次会に繰り出した。

 カウンターの奥の棚にはワイン、スコッチ、バーボン、ジン、コニャックからウオッカ、ラム、テキーラまでざっと100本を数えるほどの酒壜がずらり。会友各人が思いつくままに注文するカクテルや水割りを粋な手つきでさっと目の前に出してくれる。さすがは、有楽町の日比谷バー本店で3年間修行されたお手並み。実はこの本店にはこの2月の山下王座の就位式の後、大橋拓文四段と緑星学園を主宰される菊池康郎氏のパートナ
ーを務める結城師匠を千壽会有志とお連れした。その時、春樹さんのカクテルを既に頂戴していたのかもしれない。

 春樹さんは顔を見ればすぐにわかる父親似の22歳。英樹・英子のご両親はどう育てられたのだろう。バーでうかがった春樹さんのお話から垣間見ることができるような気がする。

 「小さい頃から碁を教えられました。でも中学生になる頃、『お前は好きな道に進んだらいい』と父親に言われました。碁盤を前にして苦痛を感じていた自分を理解してもらえてほっとした記憶があります。その時父は、『何をやるにせよ、やるからには徹底的に打ち込め。中途半端はいけない』と付け加えました。私は自分の夢を探し、後に一流のバーテンダーになることを目標に定め、母もそれを応援してくれました」——。

 棋士としてのDNAは4人の弟妹たちに譲り、カクテル道へ挑戦する土台はその頃芽生えたらしい。 春樹さんが店内に置く挨拶状には、「夢だけは負けず」と題されたこんな文章がしたためられている。私も好きな“デクノボー” 宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」をアレンジされたらしい。

 雨にもめげず、風邪にもめげず
 二日酔にも、早起きにもめげず
 東に爽快ミントがあらば、さっとミントジュレップでもてなし
 西に美味しいワインがあらば、友との語らいにコルクを抜き
 南に陽気なテキーラがあらば、今夜の〆にそっと出し
 日照りの日には、ひんやりカクテル
 身も凍える夜には、ほっとカクテル
 閉店後に独りで泣き、営業中に皆で笑い
 聖地銀座にて「夢」だけは負けず
 二代目の意志を受け継ぎ、精進を怠らず
 お客様が笑顔でお帰りになる
 そんなBARを私は目指したい

 春樹さんの店はカウンター8席、テーブル4席でいっぱいになるこじんまりとしたつくり。カウンターもテーブルもピカピカに磨き上げられている。営業日は日曜・祭日を除く毎日18時から26時まで。バーは常連さんでもつから、疲れたからと言っておいそれと休むわけにはいかない。軌道に乗るまでは独りでがんばり通さなければならない。夜の酔客相手の仕事は楽しいことより辛いことが多いだろう。カクテル道を究め、日本一のバーテンダーを目指す夢こそが春樹さんを支えるエネルギーになるのだろう。

 店には余計な音楽もないし、もちろん碁盤も置いてない。まさに正統派銀座BAR。ちなみに、初代店主は「岡部」、二代目は「高梨」という名前だったらしい。偶然にもせよ、日本棋院とのつながりが感じられる。オトナ向けの落ち着きと碁盤外のくつろぎを求める時、棋士の皆さんやアマ愛好者の方々は「三代目 小松春樹」を応援してあげて欲しい。

亜Q

(2008.7.29)


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