Davidと覗いた「第60期本因坊就位式」風景 その2

ヨーコーさんに目を着けたのは、Davidがタケミヤ大風呂敷センセーのファンだから。その割には結構地にこだわるし、そもそもヨーロッパ出身のくせに力が弱い。ザル碁の私から見れば、棋風はタケミヤセンセーとは月とスッポンのように見える。もちろんハンス・ピーチとも雲泥の差だ。でもどんなアマでも、あの宇宙流を知って一皮も二皮も向けていく。男子たる者、3日も会わないでいれば目を見張らせるほどの変貌を遂げるとも言う。それには、好きな棋風への憧れの気持をひたむきに持ち続けることが大切だろう。

私はヨーコーさんに、Davidと千寿先生とのつながりや来日経緯などを説明し、心情的にはDavidはタケミヤ先生の子供(つまりヨーコーさんの弟)と同じなのだと強調、ついては将来国際普及活動などで縁があれば協力してあげて欲しいなどと調子よくお願いする。ヨーコーさんも苦労を重ねたのだろう。突然現れた変な外人とオヤヂに「囲碁の国際発展のために若い者同士で盛り立てて行きたい」とそつなくエールを返してくれた。――ここまでは我ながら満点だった。

ところがその直後に私の“打ち過ぎ”が飛び出した。「若いと言えば、先生はおいくつになられましたか」と何気なく問うたのが後悔の一手。「高尾ちゃんとはボクが1つ下、ケーゴ君とは1つ上です」。「え!それでは二人に挟まれて・・・。お父上も確か若くして本因坊になられましたよね?」とつい口が滑った。「は、はい、がんばります」と彼は殊勝に答えてくれたが、一瞬眼を伏せたのをしっかり見てしまった。

後で調べると、父君は20歳で初の本因坊リーグ入りを果たし、25歳で本因坊になっておられた。私の言い方はどこか嫌味にも聞こえる。時計係の先輩水間俊文七段から聞いた「睡魔を追い払う方法」辺りを話題にすればよかった。好漢ヨーコー、ザル碁オヤヂのたわごとなど、どうぞ気にしないでくれー!

助けを求めて周囲を見渡すと、七福神みたいな方がおられた。相変わらずお元気そうなアベチャン先生のお姿。「安倍先生こんにちは」とごあいさつすると、「おや、あの時の」とは、さすがは碁界随一の博覧強記。時は今年3月末の土曜日、場所は埼玉県の川口オートレース場。なぜか日本棋院がこの会場を借りて弁当付き無料指導碁という飛び切りのファンサービスを実行しているのを私が目敏く見つけて押しかけたのだ。

来場した棋士は安倍九段を筆頭に、遠藤悦史七段、加藤啓子四段、巻幡多栄子三段ら。私は必ず女流に声をかける。巻幡三段には会場に来るまでの交通手段。もちろん愛車ホンダCB400SSで来たと言わせたかったのだが、「棋院が手配したバスで来ました」とは当てが外れた。ご指導いただいた加藤四段には「今年に入って何敗されていますか?」一瞬怪訝そうな顔で私をにらんだ加藤四段はすぐに相好を崩す。そう、彼女は当時破竹の十数連勝中で半年近い間負け知らずだったのだ。こんな気配りをする私は、指導碁とは言え彼女の連勝記録をストップさせることは当然差し控えたのだが、そんなことは余談であった。

アベチャン先生に話しかけたのは昼食弁当をいただきながら。テーマはテンコレ文士(ご存知・中山典之六段)の手による歴史的な名著『実録囲碁講談』(岩波文庫のベストセラー)の中の「深夜の怪笑」。「あんなことがしょっちゅうあったのですか」と聞けば「手合いや実践研究の後で目が冴えていたし、みんな碁の虫だから当然です」と、高輪にあった古い日本棋院の建物や当時の棋士生活などを説明してくれた。

私が尋ねた「あんなこと」をやってのけた登場人物は、安倍三段と高木祥一、福井正明、中山典之各初段(昭和37年当時)。手合い後の研究が長引いて4人で棋院2階に泊まり込んだ深夜、誰もが寝付かれないまま真っ暗な部屋に並べた布団に横になりながら、一人が口述する棋譜が誰の対局かを当てっこするゲームを子守唄代わりに始めたらしい。以下はテンコレ文士が活写するさわり。

「黒1、17の四」「白2、4の三」「黒3、3の十六」「白4、16の十七」「黒5、5の十七」「白6、15の三」「黒7、16の五」「白8、12の三」――「わかった」と高木、福井両者が同時に答える。安倍三段は「早かったな、それではまず高木」「白が道策、黒は山崎道砂」「正解、それでは福井、この碁の結果は」「バカバカしい。白13目勝ちに決まっている」「失礼しました。では次、黒1、16の四」・・・。安倍三段は2局目を始める。

並べる碁は300年も前の碁からつい1週間前に打たれた秀行・宮下戦、さらに昔の二流どころの棋士まで飛び出し、口述者と回答者の感想なども入り混じる。テンコレ文士はこれを「さながら囲碁数百年の歴史漫歩」と表現する。この人の感性はいったいどうなっているのか。明らかに、神に愛された一人なのだろう。さりげなく添えられた俳句も実に心憎い。

短夜(みじかよ)の 冴えゆく闇を 烏鷺(うろ)翔(か)ける  蕉堂

睡眠薬代わりに思いついた当てっこゲームは、いつしか興奮剤になっていたらしい。“碁の虫たち”は夜明けまで日頃の勉強の成果を競い合い、早ければ10手前後、遅くても20手ほどでほとんど正解にたどり着いたという。まさに“囲碁バカ”としか言いようがない。こうした棋士たちと行動に、私はつくづく敬愛の念を禁じ得ない。話を聞いただけで、深山幽谷に踏み迷い込んだ幸せな樵(きこり)になった気分だ。仙人が碁を打っている姿に見ほれて悠久の時を過ごし、気がついたら斧が腐っていたというあのランカの故事だ。

ところで私は、アベチャン先生の温かい人柄に垣間触れたことがある。10年ほど前の何曜日だったか、囲碁のイベントを問い合わせたくて昼頃棋院に電話した時、「はい、日本棋院です」と答える声はすぐにわかるアベチャン先生。「今職員全員昼食に出ていますが、ご用件を伺いましょう」。私の質問にはわかる範囲でお答えいただき、念のため1時半過ぎに再電して欲しいと言われる。碁界大貢献者のアベチャン先生が手が空いていればごく当たり前のように留守番役を買って出ておられるのだ。

アベチャン先生は今でも毎週月曜、木曜日には登院されているらしい。Davidの来日経緯や私との関係などを説明すると、すぐに「名刺を交換しよう」と言われる。「ボクでよければ指導碁ぐらいいつでもやってあげるから」との仰せだ。しかもその後がまたアベチャン先生らしい。「ただ、夏の間は時々いないことがある。念のため電話してください。電話番号はえーっと……」「ハッハー、わかります、大丈夫です、ありがとうございます」私はアベチャン先生に三拝九拝し、Davidの頭もあわてて押さえつけた。

すっかり気分が高揚した私は、会場内でひときわダンディー振りが目立つこの方に思い切って声をかけることにした。聖域やタブーは取り払う、これが私の信条。「この方」とは、元天元・王座、柳時薫九段である。(続く)

亜Q

(2005.8.12)


もどる