呉清源回想録 以文会友

呉清源   白水社   1997.6

 わたしは04.10.9に「金庸氏の棋力は?」と07.11.18に「金庸氏の棋力は? 続き」という一文を書いた。
 金庸老師の碁の力を推測した。そして08.3.19に次のように追加した。
 岡崎由美先生は碁を打てないのであるが、「きくところによれば、金庸さんはプロ並みに強いそうです」と、教えて頂きました。

 今年の8月3日と4日のこと、台湾の方から次のようなコメントが入った。

金庸先生の棋力はアマ六段ですよ。
呉清源先生、林海峰先生と中国の聶衛平先生など大棋士たちはみんな金庸先生の友達です。
実は、呉先生の伝記「以文会友」の中国版「天外有天」も金庸先生の前書きを載っています。

金庸先生の棋力はたしかにつよいけど、プロ並みではありません。
「以文会友」の前書きは橋本宇太郎先生のものですが、金庸先生の前書きをまだ追加していません。そして、ちょっと残念ですが、その前書きも中国バージョンしかありません。

 そこで図書館で捜して、この本を借りだした。
 発行 1997年6月である。
 ところが、前書きに橋本宇太郎師の文があり、昭和五十八年十二月とある。1983年だ。
 1983年に序文を書いてもらって、14年後に発行とはなんと悠長な、と思っていたら、これは新装版であった。年譜は平成9年(1997)まで載っていた。

 自伝である。呉清源さんが自らペンを執ったのか、それとも呉清源さんの言うことをライターがまとめたのか、あるいは原文が中国語でこれは翻訳か。
 わたしは金庸六段説の根拠を知りたいと思ったのだが、この本には金庸老師のことは一言も書かれていない。
 従来、諸説あったもろもろの件を、呉清源さんはどう見ていたか、が興味の中心となる。
 来日の経緯、宗教活動、囲碁規約の見解、独自な囲碁活動、家庭や家族のこと、などなど、かなり詳しい。
 もっとも、1983年発行ならもう三十年近く前の話なので、いままでこの本を知らずにいたのだから、もったいない話だ。
 呉清源さんには世間知らずなところもみうけられる。これは一藝に秀でた人にときどき見られる特徴だ(呉清源さんなら一藝ではなく、三藝くらいかな)。わたしなど凡人でもちろん世間知らずだが、凡人ゆえ問題になることは少ない。呉清源さんは教養豊かで、意志の強い人である。それで落差に驚く。
 例えば日本棋院除名問題について、
 除名ではなく、師の瀬越が辞表を提出したのであった。つまり自ら離れた形であった。そして読売新聞と専属契約を結んだ。

P222
 しかし、私としては戦後の日本棋院の規約など誰も教えてくれなかったし、名誉客員なる称号は、それが何であるかもわからないまま、突然持ち込まれたものである。私は戦後、爾宇から箱根、さらに小田原と、東京を離れて住んでいたため、棋士との交流もなく、日本棋院の事情もよく判らない。しかも、私の手合出場については、すべてマネージャーを務めてくれた多賀谷氏に任せてあったので、日本棋院が私を除籍したのなら、何を措いてもその事実と理由を本人に通知すべきであろう。通知さえあれば、その時点でいくらでも解決策があったはずである。その点を問い正すと、渉外部長の返答は途端に要領を得なくなるのである。

 棋院はそれを本人が承知しているかどうか、確認しなかった落ち度がある。
 しかし、呉清源さんも日本棋院の規約を守っていない。それなら普通の組織では除名となるのが普通で、呉清源さんも問題がありそう。私の疑問は、
★日本棋院に所属しながら、その規約を知らないこと。もちろん守っていない。
★読売新聞と専属契約を結んでいながら、棋院の棋士であると思っていたこと。
★誰も教えてくれなかったというが、読売新聞と契約するときは棋院に行く機会もあったはず、そのとき訊くべき。
★すべてマネージャーを務めてくれた多賀谷氏に任せたこと。それなら棋院は、本人ではなく多賀谷氏に連絡すれば、手続きは済んでいる(責務は果たしている)ことになる。
★二十年も前のことを現在の渉外部長に聞いても、要領を得た返事は無理なこと。訊くなら当時の責任者だ。
★名誉客員とは何か訊かなかったこと。(これは棋院を離れた呉清源さんに、棋戦の出場を許すための措置だった)
★瀬越師にそれを問いたださなかったこと。

 呉清源さんはあちこちで、このような、よく言えば鷹揚な態度で通している。
 わたしの推測では、棋院の規定に外れた呉清源さんを除名しようとなったのを、瀬越師が将来のために(囲碁界に復帰できるように、あるいは碁だけは打てるように)辞表を出すという形にしたのではないか。生き方が違うので、こういうのは、ほとんど「余計なお世話」になる。

 碁の話も取り上げる。高川師との手入れ問題について。
P206
 そこで高川さんは、「もう打つところはないから私は着手を棄権する」と言った。私は、「それでは私も棄権すると答えた」。すると高川さんは、次に「では私はコウを取る」と言う。私は「あなたも私も打っていないからコウは取れない」と答えた。そこで初めて高川さんも「なるほど、これは問題になりますね」と納得した。

 同じような問題が前に呉清源対岩本戦あって、それは逆の立場で、手入れしなかった。呉清源さんの主張は、碁の根本的な問題である。
 わたしの受けた印象では、高川さんは碁の根本的な問題とは理解しても、自説が正しいと思っていたようだ。
  現代の名局8 高川格  P106及びP127

 現在ルールでは、日本囲碁規約逐条解説の「第七条-2」の解説に、次のように書かれている。
2 着手放棄後は新たに劫が取れる
 劫を取られても、着手放棄(通称パス)を行った後は、対局の再現と同じになり、新たな劫取りとして可能となる。

 呉清源さんは人生でもこのような根本的な問いかけをするのだが、人の世は理論的にできているのではないので、あちこちに除名問題のような漏れがあって苦しむことになる。その様子を詳細に記述している。それでも精神的にはいつも高みにいて、不幸とは思えないのが素晴らしい。

 この本の中国語版の題名は「天外有天」で、序文を金庸老師が書いている。

 《天外有天》金庸序——崇高的人生境界——
某夜,在閑談中,一位朋友忽然問我:「古今中外,你最佩服的人是誰?」
我衝口而出的答覆:「古人是范蠡,今人是吳清源。」
 ……

 友人に「古今東西もっとも感心する人物は」と問われて、即座に「いにしえは范蠡、いまは呉清源」と答えた。
 これは客観的に考えたのではなく、個人的な好みだ。
 最も敬うのはシャカムニ、人情に通じて感心するのは老子、文学で好きなのは司馬光の資治通鑑。そのとき范蠡と呉清源を言ったのは親しみがあるからだ。
 范蠡は「越女剣」の主人公。呉清源さんは、私も碁が好きで、不世出の天才を仰ぐ気持ちから。
 囲碁は中国で発明され、近数百年は日本で盛んになった。ただし、二千年の中国碁史上、おそらく呉清源さんと肩を並べるような第二位の棋士はいないだろう。
    ……
   正確な訳文ではないので、間違っても引用するなかれ。

 追記: 先の中国旅行中に知った未確認情報ですが、金庸老師の棋力は名誉六段ということでした。名誉の意味はいろいろ解釈できますので、これ以上のことは差し控えますが、すでに高齢(八十八歳)なので、実際に力を入れた対局は難しいようです。

謫仙(たくせん)

2012.9.20


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