日本が正しいとも限らない

 「韓国が正しいとは限らない」との貴公子の言葉が耳にこびりついてしまった。碁の世界では日本はなかなか国際戦に勝てない。新春早々に行われたトヨタ&デンソー杯決勝も、期待のウックンの疲れが目立ち、韓国のセドルに完敗だったようだ。贔屓目でなく、実際のところ日本の実力はどうなのか。何となく気になっていたところ、最近の日経新聞で立て続けに“日本(人)論”に触れた記事を目にした。

 まずは1月23日付夕刊の「メジャーリポート」。NPR(全米公共放送)が「イチロー、松坂大輔らの流出で日本のスポーツ界が受ける影響」を特集した際、録音出演したロッテのバレンタイン監督が「日本の春季キャンプは早朝から夕方まで続く」と話したのをきっかけに「日本人の国民性」が主題になってしまったらしい。日米野球の違いを「菊とバット」の著書で分析したR.ホワイティング氏が「日本野球の特徴は『和』を尊ぶところにあり、だから“犠打”が多用される」と指摘すれば、司会者はイチローを典型的な日本人像に重ね合わせ、「寡黙・神秘的」と印象を語ったと、出演したスポーツライターの丹羽政善氏が報告している。

 同じ夕刊の「あすへの話題」(本年前半の毎週月曜日は小川誠子六段が担当されているが、ここでは国際文化研究センターの白幡洋三郎教授の話を紹介する)では、「日本“文化”としての新幹線」をテーマに、東海道新幹線は開業以来42年間に延べ40数億人の乗客を運び、その間衝突・脱線による死傷事故はゼロ、列車1本当たり平均遅延時間は例年1分以内と紹介し、「高速運行を維持しつつ安全と正確さを兼ね備えた新幹線は几帳面と言われる日本人のメンタリティーの象徴。日本の“文化”であり、日本の“美”意識を技術的に凝縮したものと言ってよい」と記している。

 1月26日付朝刊には、スポーツライターの武智幸徳氏の連載企画「オシム@ジャパン」(第1回)が「日本に来てサッカー観が変わった」というオシム監督の言葉を伝えている。オシム監督はこんな風に補足する。「日本に感化され、同化したという意味ではない。それでは皆さんもつまらないし、私が監督をするメリットもない。ともに働きながら、日本人の面白さに感じ入った、ということです。何と言うか……日本の“アンビバレントなポリバレント性”に。民主主義を原則としていながら天皇制があるみたいな。みんなを尊重するやり方と言いますか」——。

 「ポリバレント」という言葉はオシム・サッカーのキーワードらしい。化学用語では、原子が他のいろいろな原子と結合してさまざまな機能を持ち得ること、サッカーでは複数のポジションをこなす多様性、異なるタイプの選手とも連携できる敷居の低さをたたえる言葉として使われると武智氏は説明している。

 このポリバレントに「二律背反(アンビバレント)」を組み合わせて使うオシム監督には、もっと深い含意がある、と武智氏は言う。すなわち、選手のタイプ、さらに攻めと守りという二律背反に見えるものを無理なく同居させる懐の深さを武器に
、マンマークを徹底しながら、ボールを奪うやどこからでも誰からでも攻めに出る融通無碍な変わり身の早さ、ポジションの横割り意識を破壊し、勤勉な守りと奔放な攻めを共存させる——オシム監督はこうした狙いを「日本を日本化したい」という言葉で表現しているという。

 そう言えば、キリストやアラーに代表される一神教に対して、日本の多神教は教義の強さ、論理性には敵わないものの、寛容度が優れていると言われる。文化・文明が衝突するよりも互いに融合し、包含していくことの方が結局は勝利を得るのではないか。素直(テンコレ先生言うところの“凡夫の浅知恵”と言うべきか)な私がつらつら考えるに、日本あるいは日本人は安倍首相や数学者の藤原正彦教授が言うように「美しい国の住人」と思えてきてしまう。しかし、グローバルな視点から本当にそうだと言えるだろうか。

 野球ならバントの多用やイチローに見られる神秘性は傍から見る限りあまり面白くはないし、少なくとも大多数の米国人には異質に見られているだろう。安全・正確を誇る新幹線も、「コストや労力をかけてそこまでこだわる必要があるのか」との合理的な異議も聞こえてきそう。サッカーだって“アンビバレントなポリバレント性”に自己満足していても、欧州や南米の体力と個人技に対抗できるかどうか。

 新幹線を日本の美意識を結集した文化と自賛した白幡教授は、実はこんな風に結論をまとめている。その「文化」や「美」はどこにでも移植できるわけではないし、しなければならないものでもないと思う。むしろ、日本はかなり「変わった国」と自覚するのがよいかもしれない——。何とまあ醒めた見方。しかしこのあたりが碁の世界にも通じるような気がする。

 余談になるが、最近、海外に広がっている日本食について、正しいメニューやレシピを指導し、ランク付けするなどの構想があるらしい。無知な私には「余計なおせっかい」としか映らないが、農林水産省のお役人たちにはもっと深く賢い思惑がきっとあるのだろう。

亜Q

(2007.2.1)


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