寂光寺


 門を入ると左側に第一世本因坊報恩塔
 この後ろか、あるいは右の方の車が駐車しているあたりに本因坊があった。古図を参照。


 右側には妙泉寺報恩塔


 妙泉寺址は駐車場になっている。
 妙泉寺は寂れてなくなってしまったが、本山の一つで格式は高かった。その格式を寂光寺が受け継ぐ。そのため山号を「妙泉山」としたと思える。


鐘楼の向こうは本堂、門から入って、90度曲がって本堂に行く。


 本堂

 右の方(方丈前か)でお坊さんが待っていてくれた。中に入ると、すでに来ている人がいた。


 本因坊戦の行われた場所。わたしたちを歓迎して、お寺さんでこのように設定をしてくれた。粋なはからい。盤石はそのときのものではない。
 手前にはそのときの記念写真。


 本堂内部、ここで説明を受けた。「碁の歴史を伝えるのが役目」と。


 隣の部屋には歴代本因坊の名がある。道策について説明する大川住職。一番右には井山裕太の名も。

 左には碁を打つ小さな像がある。扇子が半分しか写っていないのが残念。

 先の棋戦の寄せ書き、小林千寿師の名もある。
 写真がないが、先人の使用していた盤石は意外に質素。


 襖には龍の絵。対局の部屋から見る。


 本因坊の額の下、天袋の襖に薄く丸い形が見えるだろうか。月のようだがなんと龍の卵。
 話はずれるが、龍の子は龍ではないという不思議な話がある。例えば9番目の子は貔貅(ヒキュウ)という。獅子のような姿だが、おしりの穴がない。入れるだけで出ないので、ギャンブラーの守り神(^。^))。財を呼ぶ神だ。
 参考 http://www.hanachi.com/shop/hanachi/materials/AboutHikyu.pdf
 もちろん諸説ある。


 床の間

 外に出て、奥の墓所を拝見。


 本因坊家の墓。道策以降の墓は東京の本妙寺にある。道策は分骨されたらしい。

謫仙(たくせん)

(2012.8.16)


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