今こそ国際普及に全力を

 藪から棒だけれど、国際協力機構(JICA)から今春コロンビアへ青年海外協力隊スタッフとして派遣される「かおる姫」を紹介させていただこう。彼女はパソコン技術などのITインストラクターをされているが、数年前からボランティア活動に関心を持ち、住まいのある平塚などでいろいろな活動をされてきた。言わば“日本の若い星”の一人。この1年間に技術、教育法、スペイン語などの研修や試験をみっちり受け、1月から3月にかけて最後合同研修を経て3月にマニサレスへ出発するそうだ。

 オフタイムも超多忙らしい。19〜20世紀にかけて「精神科学(人智学)」という独特な世界観や人間観を確立したと言われる哲学者、シュタイナーが音楽による癒しを実践するために創り出した小さなハープのような楽器「ライアー」に挑戦してクリスマス・コンサートを開くかたわら、ハンス・ピーチが始めたハッピー・マンデー教室で数年前に始めた碁も今では強い初段の腕前(満座の中で覚さんから「次の一手を当ててごらん」と挑発されて見事正解、覚さんに投了させたこともある)。もちろん、囲碁が取り結んでくれた我が親友の一人。まだ20代だが、酒の飲み方もうまいチャーミングなお嬢さんだ。彼女とライアーをもっと知りたい方はこちらをどうぞ。

 誰とでもすぐに打ち解けて周りを明るくする彼女のことだ。ITはもちろん、音楽でも碁でも、何よりも日本の魅力を現地の若い人たちにたっぷりと伝えてくれるだろう。でもコロンビアは貧困にあえぐ人が多く、政情も不安定らしい。モンゴルでは同じ青年協力隊のスタッフが現地で殺される事件もあったという。海外ボランティアといえば気高く美しい活動だが、内実は苦労やいやなこと、さらに身の危険もあるかもしれない。かおるさんにはくれぐれも注意して欲しい。

 碁の世界でも海外ボランティアたちは少なくない。私財を投げ打って海外普及の布石を各国に豆のようにまかれた故岩本薫元本因坊をはじめ、文士活動のかたわら欧米に苗木を植えた中山典之六段、退役された中部の西条雅孝九段、そして今ではチーママとフランス語がペラペラになったという噂のジョー七段、イタリアに住んで欧州各国に普及活動を行った中部の重野由紀二段ら。半可通の私が知らないだけで、貢献された棋士はまだまだおられるだろう。

 そう言えば、もう4、5年前になるが、私は重野二段の帰国報告会を聴講したことがある。実は私は、その席上で由紀さんを泣かせてしまった。ボランティアを始めた経緯と、どんな立場で行かれたのかを質問したところ、「自分は何の制約も受けずに手弁当で行くつもりだったが、先輩の助言で棋院の援助を受けることにした。それが後になってとても助けになった」という意味の説明をされて、不意に涙ぐんだのだ。当時『碁ワールド』誌に連載していた由紀さんの明るく屈託のないイタリア報告や彼女のHP記事とはまるで違った印象を受けて、今でも私の胸に刻み込まれている。

 チーママも昨年末までの1年余り、「千編盤歌」と題したコラムで欧州での普及活動を『週刊碁』に連載された。フランス、スイスを中心に若者たちの碁への想い、現地のベテラン指導者たちとの交流と合わせて、ヨーロッパの美しい自然や芸術、美味しい食事など、まさに「囲碁賛歌」「人間賛歌」「欧州賛歌」とも言うべき話題が50回以上にわたって満載されていた。「海外普及の仕事は楽しそうだ」と感じた方も多かったのではないか。

 しかし、チーママは覚さん同様、とても意地っ張りだ(と私は勝手読みしている)。辛いこと・,いやなことを他人に訴えない。言わば「顔で笑って心で泣く」タイプ。ハンス・ピーチの悲報、手塩にかけたオンドラ君の帰郷など、普通の人生を送るならめったに遭遇しないような苦痛・苦労を乗り越えて普及活動を続けてこられた。では“書かれなかったこと”は何なのか。突然のキャンセルだとか、東洋人への差別意識だとか、場合によってはお膝元の無理解だとか、現地で身の危険を感じたことだとか、幼女から少女へ階段を上り始めたアンナ嬢との女二人旅はむしろ苦労の方が多かったのではないか。こんなことを書けばチーママに叱られるに決まっているから黙って投稿してしまうが(かささぎさん、どうぞ黙認願います)。

 そもそも、囲碁の国際普及に対して日本棋院はどの程度のプライオリティーを置いているのだろう。棋院の財政改革、棋戦・段位改革、国内の若い人への普及啓蒙、関西棋院との大合同、国際戦での覇権回復、棋士の生活向上、技芸五輪の実現など山積する課題の中で、もしも二の次にされていたらそれは絶対に間違いだと思う。国際普及こそは回り道のようでも、すべての問題を解決するオールマイティーに近い。今、文学でも漫画でも音楽でも日本食でも、「クール・ジャパン」「ジャポニスム」評価が欧米、そして中国・韓国でも湧き上がっている。日本語習熟ブームは中国、韓国から世界へ広がっているという。この時機こそ全力を挙げて国際普及を推進すべきだと心底思う。

 もちろん、何も日本のみがイニシアティブを取る必要はない。中国や韓国、台湾などともできるだけ協力し合うべきだ。資金協力はもちろん、それぞれの得意技を出し合って各国へ碁という木を植え続けるのだ。10年、20年後に欧州の天才青年が世界タイトルを獲ったっていい。日本や中国、韓国がおめおめといつまでも後塵を拝すわけはないし、それで「神の碁」に一歩近づけばいい。碁が世界的に認知されれば逆に日本の若者も碁を見直すだろう。そして10世紀以上にわたって碁を育ててきた日本を誇りに思うだろう。

亜Q

(2007.1.11)


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