先に「還珠格格の碁」でドラマの碁の話を紹介したが、原作小説(の翻訳版)「還珠姫」でも碁に関していくつか問題があった。
著者の瓊瑤は台湾の女流作家で1938年四川省生まれという。
訳者の阿部敦子の名は、金庸の「飛狐外伝」や古龍の「陸小鳳伝奇」の訳者として知っていた。
P200
「まだ、囲碁が指せるか…」
乾隆帝と紫薇は立て続けに四局囲碁を指した。
と、台詞と地の文の両方で「碁を指す」といっている。
他でも何回か「碁を指す」が出てくる。ところがP236には乾隆帝が「…また朕と碁を打とう」と、「碁を打つ」が一度だけ出てくるのだ。
これは訳者が碁を知らずこう訳したのか。それとも原作が使い分けていたのか。
現代中国語では碁を打つは「下囲棋」、将棋を指すは「下象棋」で、動詞は同じく「下(xia4)」である。他の言い方があるのだろうか。わたしの初級程度の語力ではお手上げ。
その碁であるが、最初の一局は乾隆帝が勝ったが、わずか半目差の辛勝だった。
一局目、半目。二局目、1目半。三局目、1目。わざと負けるなと言ってから四局目、夏紫薇の1目勝ち。
ドラマでは、一局目が半子、二局目が一子半でそれ以外は不明。
ここでは一子が1目で訳していることになる。わたしと同じ解釈だ。現在ルールは一子が2目相当。
さて、当時コミがあったかどうか。これについてはわたしには断定できないが、おそらくなかったであろう。しかし、なかったと考えると、半目差が理解できない。あったとすれば、1目差が理解できない。
金庸ドラマでは「半」はない。明末の「碧血剣」では、袁承志が木桑道人と碁を打つ話がある。そこではその前に、袁承志が夏青青に『可以贏他三個子』と言う科白(字幕)があって、日本語字幕は『…三目勝てた』となっていた。
現在は、半子は1目。一子(2目)差は珍しい。しかし、ないわけではない。
訳者は碁を知らないと思うが、著者はどうなのだろう。知らなくては書けないと思えるが、知っているにしては腑に落ちない。乾隆帝の時代にこのような数え方をしたのだろうか。巷では独特なルールがあったかも知れない。ここでは皇帝と民間のお嬢さんが、何の取り決めもなく碁を打てるような、皇帝が承知している普遍的なルールの話をしている。
川端康成に「名人」という小説がある。わたしの持っているのは新潮文庫版だ。
そのP130に、次のような文がある。
…小野田六段が、
「五目でございますか」
「ええ五目……。」と、名人は呟いて、…
とある。この部分を台湾の劉華亭訳では、「五目」と訳している。原文に合わせて五目にしたのか、当時の台湾では五目と数えるのか。
日本棋院「幽玄の間」では中国サーバーでもダメが空いている時に終局し、3.5目勝ちなどと出ている。中国サーバーでも日本ルールなのかな。それとも日本の「幽玄の間」加入者向けに翻訳しているか。
わたしの半端な知識では、あちこちに疑問が生じています。先達のご指導をお願いします。
謫仙(たくせん)
(2011.5.1)