鬼の目に涙~加藤正夫大棋士を偲ぶ会から

 志半ばにして57歳の若さで早世された昭和・平成の名棋士、加藤正夫(劔正)前理事長・元名人本因坊・名誉王座の七回忌を迎えた12月12日、アーク森ビル37Fのアークヒルズクラブで「偲ぶ会」が行われました。碁も強く人柄も抜群、2004年に理事長に就任されてから精力的に碁界改革を進め、それが生命を縮めたのかもしれません。

 会場には故人が書かれた「大観」の掛け軸、60歳未満で異例の受勲をされた勲章などが飾られ、奥様の泉さんとご子息(長女の配偶者を含む5名)、加藤門下生のほか、大竹英雄理事長・元名人・名誉碁聖、山下敬吾本因坊・元棋聖、小林光一元棋聖・名人、石田芳夫24世名誉本因坊・元名人、武宮正樹元名人・本因坊、小林覚元棋聖、高尾紳路元名人・本因坊以下多数の棋士、関係者、濱野彰親(千寿会メンバー)、三好徹氏ら元文壇名人を含む一般参加者ほぼ200名ほどが参集。しめやかに、と言うよりにぎやかに故人を偲びました。

 会場受付を任されたのは大森泰志、水間俊文、王唯任3棋士、司会進行役は身重の梅沢由香里棋士という豪華メンバー。小林千寿師匠が石田芳夫、武宮正樹の両元名人・本因坊らと共に故人の人となりを語り合う貴重な追憶談、木谷門下で年下のライバル、小林光一名誉棋聖が小川誠子さんを聞き役に故人との思い出の対局を語った大盤解説、日経新聞社長時代に主催棋戦の「王座戦」で加藤正夫さんの8連覇を見守られ、「偲ぶ会」の呼びかけ人も務められた元新聞協会長の鶴田卓彦氏による回顧談など盛りだくさんな趣向が用意され、濃密な3時間を過ごすことができました。

 私が最初に声をかけたのは片岡聡元天元。『週刊碁』に好評連載中の「アマの碁いちばん」を話題に、「先生はまじめなタイプと信じていたのに実はゆるキャラだったのですね」と突っ込むと、「いや、あれはすべてライターを務める松浦馬車馬記者(本人の命名)の妄想です」とキッパリ否定。「いえ、失礼ながら先生はもともとダンディーなタイプではなかった、これが私の鋭い直感です」と反論すると「デヘヘ」と笑って逃走されてしまいました。

 次はアジア杯での失意を続く農心杯で挽回された高尾九段。この人には言いたいことがいっぱいあり過ぎて取り留めのないことばかりしゃべってしまう。唐突に令夫人の話題なども繰り出す変なおじさんに、人一倍誠実な彼はちょっと困っておられたかもしれません。中国から帰ってきても過密な対局日程に追われ、名人就位式に当たって故秀行師から贈られた言葉「屈屈伸」を今まさに体験中の彼を、今回は早めに解放してあげることにしました。

 そして最後に、私はすばらしい宝物を目にしました。チクンさんと並ぶ昭和・平成の大棋士・小林光一さんの涙です。チクン大棋士からやっと奪い取った名人位を翌年、加藤正夫挑戦者に4連敗で明け渡したタイトル戦第4局、微細ながら黒の光一さんに残りそうな局面で、挑戦者が敢えて後手を引いて愚鈍につないだ歴史に残る妙手を打たれ、連覇の夢が粉々に散った。大盤解説の最中に光一さんはしばしば「ウーム」と絶句され故人への敬意と親近感を隠そうとしませんでした。

「偲ぶ会」呼びかけ人を務められた鶴田氏(現横綱審議委員会委員長)と、最近5kgのダイエットに成功されて千寿会の女番長を務める麹町夫人こと「えっちゃん」のツーショット

 いつもでしゃばりな私は黙っていられない。解説終了後光一さんににじり寄り、すばらしい解説を謝した後、晩年の故人からうかがった話を披露しました。「ボヤキ言葉はボクの専売特許ではなく、むしろコーイチ君の方がウワテだった。彼との対局で不利に陥った私に彼は唐突に“カトマンズ!”と叫んで私に止めを刺しました」(前後のいきさつはこちらでどうぞ)――と。その時、苦笑いをかみ殺した光一大棋士の目から一筋光るものが。対局中の鋭い表情からは考えられない普通のおじさんのどんぐり眼になって。あわててハンカチで隠されたけれど、ヨーロッパで囲碁普及に孤軍奮闘されて帰国報告会での重野由紀女流棋士(そのときのいきさつはこちら)、小林千寿さんが育て、南米での普及活動中に奇禍に遭って命を落とされたハンス・ピーチさんを偲ぶ会での石田24世名誉本因坊(こちらをお読みください)に続く3人目の棋士の涙を、私は脳裏にしっかりと焼き付けることができました。

亜Q

(2010.12.20)


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