“奇士”Yの返信

先日このページで“奇士”Yの献身ぶりを称えたところ、早々とご当人から返事をいただいた。しかし直接こちらに寄越せばいいのに、経済誌『日経ビジネス』の誌上を借りて何食わぬ顔して所信を述べている。返事の内容も少しずれているようにも感じられるが、素直に返事をしたためるには“奇士”Yはいたってシャイなのか、それともよほどひねくれた性格なのだろうか。

さっそく、内容をご紹介しよう。「頭が悪いため東大に入学した」兄貴たちとはきっと違うのだろう、“奇士”Yさすがにうまいことを書く。「勝負には良い負け方と悪い負け方(ここでは「悪い勝ち方」と言っても通じそう)がある」と前置きしてまずは最近の世相に触れ、それを他山の石として自らが会長を務める日本将棋連盟の再建策を語っている。(以下引用文)

ライブドアがニッポン放送に買収を仕掛けた時、ホリエモンは将棋に喩えて「詰んでいるのに降参しないのはおかしい」と話した。しかしあれは、王様の頭に打つ金を、他人の将棋盤から持ってきたようなもの。勝負がどうこうよりも、そもそもルール違反でした。

民主党が起こした送金メール問題では、王手が続かず王様に逃げられてしまった。言わば将棋がヘボだった。それよりも大きな問題は、詰ませられないことがはっきりとした時点できちんと負けを認められなかったこと。

勝負の流れは民主党に有利な局面。先の選挙での大敗を巻き返す絶好の機会だったのに、詰ますことができなかったばかりか、投了の仕方、負けの認め方がまずかった。

政治の世界だから、「国民のために何が最善か」という価値観に基づいて、議員本人と代表が負けを認め、潔く責任を取るべきだった。目先のことにこだわって「負けました」と言えないのが最悪。それが言えるためには、きちんとした理念がないとダメだ。

我が将棋連盟も慢性的な赤字に苦しんでいる。「はっきり負け」と言いたくなるほど状況は悪い。これを立て直すのは、目先のカネを考えるだけの人にはできない。私は熟慮の末、1つの理念を掲げた。それは、「日本将棋連盟と将棋棋士は、将棋という日本の伝統文化に奉仕するためにある」ということ。アマチュアに喜んでいただく、すなわち顧客本位を実現することだ。

しかし新しい概念を打ち出すと、それに反対する人が必ず出てくる。既得権益がある人、変化を好まない人だ。彼らをどう説き伏せ、実行していくかは実力の世界だ。

赤字だから収益を上げ、経費を削減し、リストラをすることこそ先決と考える人もいるだろう。もちろん将棋連盟も給与規定改定や組織改変に着手するが、その前に関係者全員が伝統文化を守り抜くための行動に出ることが必要。

並行して、職員の幸せや活性化のために、職員の子育て支援策を打ち出した。子育て支援は、企業、自治体、各種団体が取り組むべき大きなテーマだが、連盟は真っ先に対応した。こうしたことを通じて、子供を持つお母さん方に「将棋連盟はいい団体だ、将棋はいいものだと思ってもらうことが大事だ。

目の前にいる人からカネを儲けようとするのは、いきなり王手をかけるようなもの。ぐるっと回ってファンを増やしていくことが、結局は黒字化につながる。

本当の勝負は目の前の1局なのか。今は負けたとしても、それを認めることが先々を考えての本当の勝負なのではないか。その判断を下すには理念がなければならぬ。目先のことや私利私欲にこだわるのは、勝負の女神から天罰を食らう結果を招く。(以上引用終わり)

“奇士”Yの信念を民間企業や市井の人が貫くのは難しいかもしれない。多くの場合、「何をたわけたことを」と一喝されるのがオチだろう。投了寸前の修羅場で「ぐるっと回る」戦略を打ち出すとは、“奇士”Yならではの真骨頂、それとも極め付きのノーテンキだろうか。何やら、「今日のコメより明日への教育投資」を説いた某国の首相を想起させる。

企業や生活者(そしてチクン大棋士)にとっては「実利こそ厚みにつながる」が、囲碁や将棋の世界では実利と厚みは相反することが多い。斜めに見れば、伝統文化を継承する立場(ぶっちゃけて言えば“高等遊民”)だからこそこうした理想論が展開できるのかもしれない。

その妥当性は私ごときにはわからない(碁も弱いことだし)。しかし、今日の実利にウツツを抜かすより、明日を夢見るノーテンキの方が楽しい。ここでいきなり個人を指名しよう。「オーイ、セーケン。あなたもいつまでも若くはない。せっかく“東の貴公子”と呼ばれるあなただ。今自分ができることは何か、じっくり考えて行動に移しておくれい」。

亜Q

(2006.3.19)


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