「ころころろ」の碁

ころころろ(しゃばけシリーズ)
畠中 恵   新潮社   2009.7

 「しゃばけ」のシリーズも巻を重ねて8巻目。
 長崎屋の若だんな一太郎は筋金入りの病人。長崎屋の離れでいつも寝込んでいる。そもそも昼間でも起きている時間より寝ている方が長い。隣の和菓子屋に行くにもことわって行かなければならない。それさえなかなか許して貰えない。薬を飲んだり医者に看て貰ったりで一日が過ぎてしまう。
 無聊を慰めるのは妖(あやかし)たち。普通の人には見えない妖(あやかし)が見えるという特異な能力者。離れに同居するのは、鳴家(やなり)や屏風のぞきなど。またいろいろな妖が訪ねてくる。
 あるとき、一太郎が目が見えなくなってしまった。
 見えなくなって三日目。屏風のぞきが碁を打とうと言い出す。

「でもさ屏風のぞき、わたしはもう碁が打てないよ」
「あん? そりゃまた、どうして?」
「だって、碁盤が見えないんだもの」
「あのさ、側でうろうろしている鳴家(やなり)達に、石を盤上に運ばせたらいいじゃないか」
 打ち慣れた若だんなならば、どこへどう打ったか覚えていられる筈だと、屏風のぞきはさっさと碁盤を用意している。

  中略

若だんなは試しに、教えた場所に碁石を置くように頼み、鳴家に黒石を持たせて盤上へ乗せた。すると小鬼は一つ二つと目を数えつつ、ぽてぽてと歩いて置きに行く。

 若だんなと屏風のぞきが話をしたりする間に、鳴家が石を蹴ったり動かしたりして、盤上は判らなくなってしまう。

 このような進行なのだが、著者は碁を打てるのだろうか(^。^)。
 この言葉の使い方に不自然なところはない。どうでもいいような文だが、碁を知らないと、こんな短いところでも不自然な言葉づかいをしてしまうものだ。でもそれだけで碁を打てるとは言いきれない。
 1カ所大問題があった。
 ここでは、プロでもできないと思える「目かくし碁」を打とうとしている。将棋ならば、目かくしでも打てる人がいるが(盲人のプロ棋士がいた)、碁では聞いたことがない。武宮九段がアマを相手に打った話があるが、途中で盤上を確認したのではなかったかな。満14~16歳くらいの少年が、いきなり目が見えなくなって「目かくし碁」が打てるものだろうか。塔谷アキラ(ヒカルの碁)は打てたようだが、プロ棋士でも百手まで打つのは難しいのではないか。
 一太郎は試しに打ってみたが、すぐに終わってしまう。もし鳴家がきちんと石を置くことができたなら、どこまで打てるものだろう。試しとはいえ、一太郎が五十手以上打てると思っていたとしたら、プロ並みに強いことになるのではないか。気になった箇所である。
 著者にも一太郎にも訊いてみたい(^_^)。
 一太郎の場合は妖(あやかし)が見える能力者なので、特別な記憶力があり、見えるのと同じように打てるのかも知れない。しかもそのことが特異な能力であることに気づいていない可能性がある。それなら普通のアマの棋力で納得がいく。
 そこで打ち方だが、なにも鳴家に運ばせなくても、屏風のぞきに言えばよいこと。佐為とヒカルではヒカルが両方の石を打ったように、屏風のぞきが両方の石を打てば鳴家に運ばせるような問題は起こらない。そのうち気がつくかな。

謫仙(たくせん)

(2013.1.20)


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