碁打ちになりたかったんだよ〜Part2〜

 世の中には、なりたい職業の定番と言うのがあるらしい。私は昔、先輩から「プロ野球の監督」「オーケストラの指揮者」「創刊雑誌の編集長」と聞いたが、これはちょっと怪しい。むしろ、世襲比率が多い職業こそが人気の証明ではないか。まず、「家」のつく職業。政治家、建築家、ゲージツ家、ヒョーロン家、大家さんもいいかも。次は「師」または「士」がつく職業。医師、教師、弁護士、会計士。いずれも国家またはそれに準ずる資格を必要とする。もう一つ、「者」がつく職業の学者、技術者、役者、芸者、記者、競技者はどうか。ちょっと微妙かな。

 こんなことを考えたのは、今月初めに小柴さんと再会する機会があって、「自分が物理学者になったのは、なりたかったわけでも得意だったからでもない」と聞いたから。何でも旧制高校(一高)の寮の風呂場で、本人がいるとも知らずに「小柴は物理ができないから、ドイツかフランス文学に行くだろう」と教師と先輩が話しているのを聞いて発奮、物理を得意とする同室の級友に家庭教師に頼み、教えてもらいながら猛勉強して東大物理に入学したらしい。言わば「男の意地」。今考えれば、確かに噂話の通り、ハイネやモーパッサンが好きだったから文学に進む可能性が強かったと、小柴さん自ら言うのだ。しかも、その後も自分の才能に何度も疑問を感じ、物理学は向いてないのではないかと悩んだらしい。

 とすると、昨年末に当サイト管理人のかささぎさんに挿入してもらったチンパンジーが本を投げ出して寝ている図に付けられたキャプション「物理屋になりたかったんだよ」は、あくまでもファックスの送り手である先輩の理論物理学者・南部陽一郎氏の想い、感情を移入したコメントだと言い添えなければならない。――責任感の強い私の言い訳を兼ねた前口上はこの辺で済ませ、人気職業のはずの「棋士」に話を移したいのだが、もう一つだけ追加したい。即ち、高度な真理追及の場での親切かつ天賦の才能を持つ人物の存在感。南部氏はまさに天才で、世界中の一流物理学者から「困った時は南部に聞け」と言われていたらしい。こうした“何でも的確に答えてくれる”親切で天才的な存在は、囲碁界ならゴセーゲン、シューコー、そして今ならイッシー、シャトル、オーメンあたりではないか。

 閑話休題。棋士は「碁打ち」になりたくてなるものなのだろうか――。名人戦リーグでシャトルとしのぎを削るサカイヒデユキを見れば当たり前のように見えるし、棋士は世襲が多いような気がする。一般的な職業よりもはるかに専門性が強く、かつ能力が遺伝に左右されやすいからだろうが、それだけではあるまい。辛いことは数多あれども、自分が愛する碁をもって自己実現を図る醍醐味がたまらない。親はどんな苦労も乗り越えて自分の子供を棋士にしようとするし、子は以心伝心親の後を歩むのだろう。世襲とは言えないまでも、身内に“熱狂的な囲碁理解者”がいて子供が感化されるケースも多いようだ。

 しかし、本当にそうだろうか。3年ほど前、小林ファミリーを育て上げた猛父・正義氏の話を書いた頃、「棋士になったのはひとえに父親から逃げるためだった」とチーママから聞いたことがある。彼女独特の高度なレトリックだからそのまま鵜呑みにするわけにはいかないが、かなりの比率で本音が入っていると私はにらむ。歳が離れていない長男、次男、三男が同様にプロを目指す中で、長女の責任をいち早く果たして「あなたのやり方は間違っていなかった」と父親をとりあえず安心させたい。何よりも彼女自身が高校生活をエンジョイし、棋士とは無関係な勉強や読書が好きだったと言う(たくせんの小部屋「千寿先生は文学少女だった」参照)。棋士以外の道でも、彼女は間違いなくあふれる才能を開花させただろう。ただ碁が強かったためにプロになった。そして相次いでタイトルを獲ったことは事実だが、本当にこれが天職だったかどうかは、きっと“神のみぞ知る”ところだろう。

 5年以上も前、私は彼女に「参議院議員に立候補しろ」とけしかけたことがある。棋院建て直しを兼ねて、イッシーあたりと共に自民党の与謝野馨(現政調会長)を手助けしながら、日本の文化を復興・発展させるのだ。ちなみに、与謝野氏は正真正銘の囲碁六段、そして彼のボスである中曽根康弘氏は近著『自省録』で「政治の究極の目的は文化に奉仕するにあり」と明言されている。千寿さんならば現法務大臣あたりとは比べるべくもなくはるかに有能振りを発揮するだろう。ところがチーママはこの話を鼻にもかけなかった。私ごときが表面的に感じた評価などは迷惑至極、自分の本質はまるで違うとばかりに―。私は一人恥じ入った。私だって政治家になるのは御免蒙る。そもそも誰も推挙しない。

 いささか強引だが、まとめに入ろう。小林ファミリーで言えば、チーママとシャトルは言わば「小柴型」。特になりたかったとは言えないのに「運命が背中を押した」。そしていざ棋士になると実績も付いてきた。二人とも高校生活を人一倍謳歌してきたように見える。シャトルの愛妻はご存知だろう。「と、日記には書いておこう」でひところ一世を風靡した高校同級生のムラヂ・ヒロミさん。昨年おばあさんになってしまったが、今なおなかなか魅力的。70歳にして信じられないほどの美しさを堅持するソフィア・ローレンを髣髴とさせる。

 次男のケンちゃんはどうか。猛父はこのケンジを一番可愛がったらしい。才能も兄弟の中で最も恵まれていたかもしれない。素直な彼は、姉も兄も弟もプロになろうとしていたから、「成り行きで」“碁打ち”になったのだろう。

 最後に一言、“碁打ち”“将棋指し”“物理屋”について。表面的には貶めているようだが、身内または贔屓なればこその愛着がこもっているようで、私は嫌いではない。ただ、乱用すると嫌味だし、なじみの薄い棋士や物理学者の前では憚る程度の自制心は持ち合わせている。「本音を隠して建前飾り、笑いは逃げの切り札」は井上陽水だったか。不特定多数の方々を対象とする本サイトでは、敢えて「好きな表現」を使わせていただきたい。

亜Q

(2005.2.5)


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