久保六段の二人の師匠

左から、久保六段、千寿先生、亜Q。

このサイトがスタートしたのは21世紀の初め。メニューの「雑記帳」を見ると、何と400近い話がたまっている。もちろん、どなたが書き込まれても、覗きに来られても大歓迎だが、読み手も書き手も限られるマイナーサイトがよくぞ細々と続いてきたものだと感慨深い。

スタート当時、既に日本棋院や関西棋院、そして棋士、碁を愛するアマチュアの方たちがそれぞれ草分け的な名物サイトを運営されていた。囲碁に関する知識や意見、古今の名局、プロアマを問わず碁への愛情などの話題がそれぞれの手作りのページに書き込まれていたのが懐かしい。

中には、いろいろなテーマでしばしば激論が戦わされた掲示板もあり、巨大サイトの「2チャンネル」のように具体的な論者や意見に対してかなり突っ込んだ、と言うより誹謗中傷、罵詈雑言、果ては人権侵害に近い書き込みもあったようだ。

最近はよそのサイトを探訪することが減ったのでよくわからないけれど、碁のサイトは昔よりきっと増えているだろう。どんなことが書かれているのか、感情的な議論が行き過ぎて炎上した挙句、囲碁の普及に悪影響を及ぼすこともあるかもしれない。日本棋院や関西棋院はこうした書き込みを「検閲」する必要(権限や義務も含めて)はもちろんないけれど、定期的に目配りしておく努力はした方がいいだろう。ただしこの作業は趣味でつまみ食いする程度なら苦にならないが、仕事として常時手広く実行するのは重労働だ。棋士には手合いで頑張るほかにもいろいろな使命があるが、こうした地味な仕事にも組織的に対応されているのだろうか。

3月10日の千寿会には、この縁の下の力持ち的な仕事を自主的に実践されている久保秀夫六段が講師に来られた。インターネット業務を担当する日本棋院常務理事として、ネット事業の企画・運営に携わる傍ら、アマの掲示板にも目を通されるのが気配り秀夫流なのだろう。こうした貢献活動は、年間手合い成績で少なくとも5勝分ぐらいには相当するのではないかと思ったりする。

久保先生との指導碁は私の4子局、例によって自由置き碁をお願いした。初手から20手までをご覧いただきたい。ポイントは黒16。右下黒の小目に高ガカリしてなだれながら黒の打ち方を様子見した白3子への急所のオキで、右上からのシチョウ当たりを兼ねている。白17は絶対だから、黒は18と白1子をシチョウにカカエることができるのが黒の言い分。

小生のザル碁感覚では、置き碁で白の小目と黒の1間高ガカリが対峙した場合、黒は先手をとってケイマにカケ、白ツケにはハネ押さえて白を低くする定石が黒の理想と常々考えている。それにはシチョウ有利が前提だから、その場の思いつきで黒16と打った。しかしこの手は明らかに先に損する手ではある。

ところが久保先生は黒20までの流れを激賞してくれた。「黒は右下で小さくない犠牲を払ったが、左上で白を屈服させる定石を打つことができた。黒20まで右下の白も辺境に押し込められ、黒は全局的に厚い態勢を築いている。黒16はなかなかの手で、シューコー先生がご健在なら褒めてくれるかもしれません」と。

ここで話を止めればカッコいい。しかしオトコらしく告白すれば、実戦で私はとんでもない寄り道をした。黒20の前に右下17-十八にアテ返し、白抜き(18-十六)と替わってから黒22の手で14-十六に押さえたのだ。譜のように黙って14-十六オサエなら、それでも白は抜き(18-十六)ぐらい。黒が先手で大場に回れたのに、抜かれた後に右下に小さいオサエを打った理屈で、当然白に大場を打たれてしまった。その後も1路広げ過ぎた黒の欠陥を白に厳しく咎められるなどして黒の難戦が続き、私が投了しようとする都度「まだ細かいから最後まで打ちましょう」と言われるままに並べ、結構大差で敗れたのは言うだけ野暮でした。改めて愚考すれば、これぞ気配り秀夫流の真骨頂かも。

自分の碁を高手から講評していただくのはとても参考になるが、プロでも同じらしい。久保六段には2人の屈強な師匠がいる。まずは5歳年上の元本因坊、NEC杯、阿含桐山杯者の趙善津九段。手合いがあるたびに棋譜を並べてあれこれ忠告してくれる優しい兄貴のような存在だ。そしてもう一人は愛妻の馬場智弓(「ともゆみ」と読むらしい)さん。知る人ぞ知る女流アマ界で息長く活躍され、3月初めに開かれた第54回全日本女流アマ選手権大会で見事3位に入賞された。現在はインストラクターとして多忙な日々を送られ、私の地元の碁会所でも姉御肌たっぷりの名講義がアマチュアの人気を集めている。

つい先日、久保六段が不覚を取った一戦。帰宅した久保六段を待ち構えて智弓さんがさっそく「見てあげるから並べてちょうだい」とは、さすがに女流アマ碁界実力者の貫禄。途中まで「フンフン」と読み進めた智弓さんが「何、この手は!こんなドンくさい手を打ったの?」とマジマジと見つめられて温厚な久保六段もムッと来たらしい。ところが数日後、善津九段から何と同じ局面で「この手はいかにも田舎くさい」と指摘されてしまった。しかもほぼ同じ表現で――。

指導碁で私のザル碁ぶりを改めて露呈してしまった後、ご自身のこんな話を聞かせてくれるとは、やはり気配り秀夫流だ。

亜Q

(2012.3.15)


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