院生修行中の少年たちの碁をのぞくと、内容よりも着手のスピードに仰天させられる。
互いの棋力レベルが近いからか、若者特有の気合か、手どころの読みも何と早いこと。
何だか、碁を覚えたての子供や時間拘束型サラリーマンが昼休みに打つ碁に似ている。
でも院生は知識があるから早いので、子供や職場の昼休み碁と比べるのは失礼だろう。
序盤構想の分岐点はもちろん、利かしのタイミングや難所を迎えればさすがに考える。
それでも終局まで概ね1時間とかからない。持ち時間30分もあれば十分なのだろう。
こんな打ち手はアマチュア高段者にもいる。例えば、決め打ち傾向が強いかささぎさん。
彼は布石段階で得意技を少なからず持っているから、そこへ誘導されると抜けられない。
読み筋を外そうともがくほど悪くなるから、不本意ながら相手の意中を行くことになる。
負け惜しみを言えばこれはちょっと味気ない。知識、度胸、指運比べになりはしないか。
対抗策は「手づくり碁」。将棋に喩えれば“塚田流手将棋”、碁では“岩本薫流豆まき碁”。
形を決めず手抜きを多用し、忙しく立ち回って否応なく碁盤をどんどん広げていくのだ。
盤上あちらこちらで「貸し」と「借り」が放置され、どこが頭か尻尾かわからなくする。
そう言えば小林ファミリーの父君、正義氏は置き碁の下手相手に豆まき碁の名人だった。
正義氏を引き合いに出して「碁盤を大きく」などと言えばカッコ良いが、実は勉強不足。
どうせ知らないなら、相手にも同じ立場になっていただく。これぞ弱者の無手勝流極意。
ところがこんな打ち方は絶対に時間がかかる。ザル碁でも新しい道をつくるのは大変だ。
生まれつき血の巡りが悪いから、攻め合い・死活はもちろん、ヨセも人一倍時間を食う。
そんな私が、関西の橋本昌二さんの若い頃みたいに序盤から考えたら相手はたまらない。
「昌二さんは天才、お前は鈍才、いや阿呆!」と怒号・罵声が聞こえるような気がする。
でもねぇ、攻め合い・死活・ヨセは確かに苦行だが、序盤構想は碁で一番楽しいところ。
ザル碁の身にも五分の魂。重戦車敬吾を金縛りにした覚流「細雪策戦」を捻り出したい。
この法悦境にひとたび迷い込むと時間を忘れ、さながら爛柯(らんか)の故事そのもの。
(ご参考までに11月1日付で掲載した「碁を知らない人に、まず何を教えたいか」を)
知らず知らず時間を重ね、温厚な相手でも扇子をパタパタ、腕時計をチラッとし始める。
私は初めのうちこそ気づかぬフリで平静を装うが、実はこの「時計チラッ」が大の苦手。
3回目ぐらいになると思考が堂々巡りを始め、焦って石音がしたところばかり打ち出す。
碁は「勝敗よりも納得」と心底思い込んでいる私には投了したくなるほどの状況なのだ。
扇子パタパタ、時計チラチラ、周囲キョロキョロ、果ては扇子で隠したあくび噛み殺し―。
『週刊碁』の「すごもりくん」も悩んでいたが、かささぎさんは無論こんなことはしない。
それでもいっそ対局時計があった方がいい。両者合意のうえで大手を振って考えられる。
時間はどのぐらいが適正だろう。参考になるのは、アマチュアの各種大会での持ち時間。
私の知る範囲では「40分」が圧倒的に多い。でもこれは止むを得ない運営管理上の理由。
所定の時間内に優勝者を決める必要がない普通の対局なら、それより多くしていいはず。
となれば対局時間は最低45分、できれば1時間は欲しい。もっともこれは長考派の意見。
「下手な考え休むに似たり」とは千寿先生も言う。そこで老獪な私は妥協策を思いついた。
基礎時間を例えば45分として、すぐに「切れ負け」にはせずに最大1時間まで許容する。
45分を超えた場合は1分ごとに半目のコミを相手に進呈する。最大7.5目で打ち切りだ。
60分を超えたらもちろん切れ負け。これなら早撃ちマックさんも同意してくれるだろう。
亜Q
(2006.1.7)