渋澤真知子囲碁教室

 10月10日は目の日だという。わたし体育の日と覚えていたが、今は違うとバカにされてしまった。その目の日に千寿会のメンバー7人で、渋澤真知子囲碁教室を訪ねた。
 高井戸までは少し遠い。わたしには一時間半の距離だ。
 去年、渋澤真知子さん主催の囲碁会に出て以来、一度は教室を訪ねたいと思っていた。
 真知子さんは棋院の仕事もあり、教室はいつでも開いているわけではないので、事前に予約しなければならない。こちらも各人に都合がある。ようやくまとまったというところ。
 高井戸駅で待ち合わせ、教室に向かう。五百メートルほど歩く。住宅街の一画に教室はある。

 一階はご母堂の高井戸治療室。
 二階が真知子さんの囲碁教室だ。手前の部分だけなのでかなり狭い。あくまでも囲碁教室で、碁会所ではない。
 我々が二階に行くと、一組が対局していた。入りきれなくなってしまう。
 二階では三人が指導碁、一組が対局。下の治療室の一部を借りて、二組が対局ということで凌いだ。
 教室は外見とは裏腹に内装は檜造りのイメージ、碁を学びに来る子どもたちの健康を考えてと聞く。無垢の檜に囲まれた教室は中高年者には憧れ。子どもたちより先に大人が喜んでしまう。
 教室の一部にテレビ。さらにパソコンまである。
 わたしは、真知子さんはインターネットをしていないと聞いていた。Eメールのやりとりをしていないと。それなのにパソコンがある。モニターの表面はタッチパネルになっているようだ。
「最近は、日本棋院の仕事がパソコンで入るので、仕事の必需品ですよ。ええ、もちろんEメールも」
 パソコンがあるためにさらに部屋が狭くなったのだ。
 二日前の名人戦の記録係りもしていたので、その話も聞こうと思ったが、全員が指導碁をお願いしては、とても時間がなかった。
 途中で、ご母堂がお茶と茶菓子を運んできた。茶碗もこっているが、茶菓子がいい。

 ご母堂の手作りの粟餅かな。きなこでくるみ、上に栗が乗っている。
「お母さんの手作り?」
「ええそうです。自然食にこっているので」
「これは粟かしら」
「そうだと思いますけど、わたしもよくは判りらない…」
 真知子さんも知らなかった。ただし、「親の心子知らず」ということはなくて、真知子さんは、わたしたちから見るとかなりストイックな食生活をしている。ご母堂の影響が大きいようだ。

 肝腎の碁だが、真知子さんはけっこう早打ち、時間は全て我々が考えるために使う。
 わたしは四子局をお願いして、右に小目二子、左に星に二子。
「星四子とは感覚が違うので、なんか気になってしまいますね」
 とは、打ちながらの感想。
 かなりうまく打てたと思っていたが、一手の欲張りで大石が死んでしまった。プロは普通、勝てる場合は殺さないように打つ。つまり、黒が大石を凌げば勝てる碁だったと思う。「貪り勝ちを得ず」の見本のような碁だった。
 自由対局は、……悔しいので言及したくない。南帝(なんてい)の三子卒業試験は合格させてしまうし、打ち掛けの二局は負け碁だったし、この調子では、宿命のライバル洪七公(こうしちこう)にも負けそう。謫仙こと魯有脚(ろゆうきゃく)が馬脚を現したようなもの。

 夕方、真知子さんに見送られて、駅に向かう。途中で反省会のために焼鳥屋に入る。なにしろ反省会が碁より楽しみな人ばかりだ(^。^))。
「前の日本棋院の碁会のときと比べて、今日の真知子さんは溌剌とした顔をしていたなあ」
「今調子を上げていて、某棋戦の一次予選を突破したところなんだよ」
「以前、酒井猛先生の慰労会のときも来てくれましたね、師匠なんですか」
「直接の師匠は違うんだけれど、酒井先生にはずいぶん教えて頂いたから」
「またいつか、真知子教室に来ませんか。いい反省会場もあることだし」
 と、いつまでも続くのであった。

謫仙(たくせん)

(2009.10.11)


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