待った考

                      K(さいたま市、男性)

アマ棋客が最も嫌う対局マナーは「待った・はがし」。大会などではめったに起こりませんが、 碁会所などで見ず知らずの人にやられたら、その人とは2度と打ちたくないと思うでしょう。 でも、ちょっと「待って」ください。「待った」には弊害ばかりでなく、効用もあるのではないかー。 長年の碁敵と私は、1局に1〜2回程度の「待った」をお互いに認め合いながら打っています。 異論・反発は大いにあるでしょうが、「独善的待った容認論」を書き込みさせていただきます。

例えば劫の取り番を相手が間違えた時、「即、相手の負け」を主張することはないでしょう。 改めて劫材を立ててもらったうえでそのまま碁を進行させる、これが当たり前だと思います。 手番の間違いは極端な場合ですが、本来の棋力からすれば考えられない凡失も同じこと。 所詮ザル碁ではあっても、こんなことで決着がついてしまったら、気持ちを込めて打った碁が 尻切れになり、結末がわからなくなる。そもそも、相手のポカで勝っても少しもうれしくないし、 負けた場合は、自分が悪いことは百も承知でも、全然納得がいかない。

本来なら投了した上で打ち継ぐのがマナーでしょうが、いったん集中が途切れているから ぼろぼろになってしまいがちです。そもそも感想戦とは考え方の是非を確認する意味合いが強く、 凡失の微調整を目的とする「待った」とは自ずと異なると思います。

「待った」を容認すると、ピリピリとした雰囲気にならず、リラックスして打てる効用もあります。 碁の愉しみは「勝敗よりも納得」にあると認めれば、相手の「待った」に互いに寛容になれます。 弱いながらも自分の持てる力を出し切って、神様でもプロ棋士でもない気楽さを満喫できる。 「我々の碁は勝敗を争うのでなく、棋理の追求が目的」なぞと、偉そうに自己満足できます。

まれには、強制的に相手に「待った」することを求めることもあります。 ささいな勘違いからシチョウにかかったり、重大な持ち込みになったりして碁が壊れてしまうのを避けるためです。 こうして最後まで並べ、それでも微差で余した時は、2度勝った気分になります。

もちろん、「待った」は初対面の人に対しては禁物。重大なエチケット違反です。 波長が合う碁敵に限った話だと思ってください。

(2001.9.25)


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