森進一さん、ありがとう

                      K

碁とゴルフには共通点が多い。まず、頼るものはおのれのみ、言い訳無用の個人競技。 ドライバーからミドルアイアン、寄せ、パターにつながるプロセスは 布石・中盤・大ヨセ・小ヨセという碁の流れそのもの。そして「手談」の要素もある。 攻めたい・じっと我慢、自信過剰と半信半疑などの心境を、 クラブの選び方やプレー自体が雄弁に物語る。

似たもの同士のゴルフと碁で最も異なる点は「プレー中の会話」の有無ではないだろうか。 ゴルフでは同伴競技者との会話がプレー以上に重要なことが少なくない。 互いの近況から家族、ビジネス、職場の人間関係、さらに政治経済から世相、 遊びごとに至るまで、実際に球を打つ時以外はひっきりなしにしゃべりまくっている。

碁はそうはいかない。対局中にべらべら話し掛けられては碁にならない。 相手の着手に無言の意思を感じ取り、黙って返し技を探る。 終局までの1時間あまりはただ石音だけ。感想戦に入ってやっと口を開くことになる。 擬人的な「パーおじさん」を相手に戦う個人競技と、 彼我の利害関係がまるで反する対戦型競技といった本質的な違いもあるだろう。

長年打ち合っている碁敵でも、相手の仕事や家族構成はおろか名前さえ定かでないことがよくある。 地位、貧富、主義主張といった社会的人格や個人の素性とはまるで無関係、盤上こそすべて。 手談を通じてそこはかとなく相手の性癖を探ることはできても、 互いの人となりは不明なままということも少なくない。 だから、特に見事に負かされた相手にはいつまでも劣等感が去らず、 碁を離れても頭が上がらない感覚がぬぐいきれない。

その一人がJ先輩。私がまだ千寿会を知らない頃、 たまたま見かけたケーブルテレビの「お好み置き碁道場」で千寿先生との3子局 を圧勝されたJ氏の珍しい名前が焼きついていた。 そのJ氏と千寿会でお会いしてうかがえば、国立一流大学卒のエリートで 大企業の商取引を行政指導してきた大御所とのこと。 学生時代に勉学と併せて碁にのめりこみ、学生時代、 職場での大会でも好成績を上げた歴戦の勇者。仕事もできるが碁に関する研究も人並みではなく、 自宅には碁に関する文献が山と積まれているらしい。 人柄はいたって穏やかでいつもニコニコされているが、 怠け者の私は圧倒的なプレッシャーを受け、 碁も仕事も「何もかもこの人には敵わない」と思い込んでいた。

ところがこの夏、八ヶ岳での千寿会合宿の帰途、J氏を含む4人で車に同乗する機会があった。 都心に続く渋滞の道すがら、ひとしきり碁談義がはずんで話題は「その他の趣味」に移り、 私は思いがけずJ氏への劣等感を振り捨てることができたのだ。 どこから見ても謹厳実直そうな彼の弱点は何と「マイクを握ったら離せなくなること」だった!

ごひいきは森進一、それも今よりもはるかにうなり節が派手だった「おふくろさん」や 「年上の人」と来た。仲間内で先に歌われると面白くない、最後は自分が絶叫したいとは、 まるで駄々っ子ではないか。改めてJ氏の顔を眺めれば心なしかやんちゃ坊主の面影が。 打ち碁を拝見していても、「最近じっくり読むことができなくなって手拍子が多くなった」と 自戒される着手が目に付く。それでも苦戦に陥ったら、やおら森進一を口ずさめばいいーー。 この優越感があれば、新年はもう少し碁にさせてもらえるのではないか。

至らない私ではあるが、何がきっかけになるかわからない。森進一さん、ありがとう。

(2002.1.8)


もどる