「国技・碁」を待望する

建国記念日に柄にもなく「国歌・国旗」について考えた。 君が代・日の丸への想いには国民各人に温度差があるかもしれないが、 内外に他国との違いを明確化し、独自性を打ち出す国家の象徴 (アイデンティティー)としてかけがえの無いものだろう。

これに対して「国花」は少々趣が異なる。日本の国花、桜や菊は海外にあっても 違和感なく溶け込み、必ずしも「日本色」を意識させない。 現地の人はサクラを見てきれいだとは思っても、 いちいち「これは日本の花か、日本に行ってみたい」などと思わないだろう。

「国技」はどうか。その国特有の武術・スポーツと辞書にあり、日本では相撲を指す。 格闘技は国の数だけあると言われる。レスリングやボクシングのように 国際化している例もあるが、チョンマゲ・ふんどし・土俵という まさにわが国特有のスタイル・伝統を厳格に守る相撲が他の国に広がるとは考えにくい。

柔道も相撲と同じく日本生まれの格闘技だが、世界中で愛好されて 日本の最強神話は完全に崩壊している。しかしルールはもちろん、 護身武術としての精神や服装、礼儀作法は各国にほぼそのままの形で受け入れられ、 用語は日本語が使われている。国家を象徴する武芸として、相撲が「日の丸型」なら、 柔道は「サクラ型」と言えそうだ。

国技には下記のような必要条件(1〜3)と十分条件(4〜5)があるのではないか。 必要条件のみなら「日の丸型」、十分条件を兼ね備えれば「サクラ型」と位置付けたい。

  1. (起源)その国で発祥したか、または歴史的に深い関係がある
  2. (社会環境)国ぐるみで大切にしており、プレーヤーが安定した地位を確保している
  3. (実力)各国と比べて実力抜群または他国が手出ししない
  4. (国際貢献)普及活動や技芸の向上などを通じて国際的に貢献している
  5. (共通性)世界で多数の国がその価値を認め、愛好者が多い
国際化の時代にふさわしい国技とは、国内だけで通用する"日の丸型"ではなく、 世界から愛される"サクラ型"。そしてまさにこの資格を持つのが碁だと思う。 決して身びいきではない。日本で生まれた文化・技芸は数多ある。 しかし上記の条件をバランスよく満たすものは少ない。 たとえば絵画、陶芸、音楽の分野は日本独自のものではない。 歌舞伎や能・狂言、和歌や俳句といった言語や文章が要になるものには日本語の壁がある。

4千年の歴史を持つ碁の起源は古代中国ともインドとも言われ、日本ではない。 しかし現代まで10世紀を超える間、日本こそが最高の育て親であったことは誰も否定できまい。 国際貢献の面でも、各種国際棋戦の主催、国際的な人材育成、 アジア、欧米、ブラジルなどへの普及活動、グローバルスタンダードの主導、 さらに新手や新しい考え方を提唱してきた実績は世界随一。 そして言うまでもなく、碁の魅力は全世界が周知するところである。

問題は実力と社会環境だろう。国際棋戦での実績は残念ながら三番手の座さえ危うい。 プロ棋士の数は最も多いが、愛好者の人口比率は年々減少・高齢化している。 ヒカルの碁やインターネットの効果がどこまで持続・発展するかは未知数だし、 国民全体から見た場合のプロ棋士への認知度はとても低い。

しかも最近ライバル諸国は碁に力を入れている。 韓国では今年に入って碁を「体育種目」として認め、財政面に加えて兵役免除、 特待生処遇などの優遇措置を講ずる。 中国や台湾でも子供や地域を対象とした囲碁振興策に熱心だ。 中韓両国は碁が五輪種目にされるよう協力するとも言われる。

こうした動きを日本は追い風としたい。何も日本こそお山の大将と気張ることはない。 協調して世界に碁の輪を広げていけばいい。 世界に広めるべき知的文化の代表として信念を持って碁を国技とするべきだと思う。 国技は相撲ひとつでいいとは思わない。仮に国民投票するとして、 碁を国技とすること自体に反対する人は少ないだろう。

K

(2002.2.19)


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