“普通の持ち時間”とは?

 日本棋院が経営するインターネット対局場「幽玄の間」では“持ち時間普通の碁”という表現が頻繁に使われている。最近になってわかってきたのだが、どうやらこれは「持ち時間20分+考慮時間30秒×3回」を意味するらしい。でもこれは世間一般のアマ棋客の“常識”なのだろうか。

 変人の端くれを自認する私には、実はどうにも違和感が拭い切れない。だって、あちこちの囲碁大会などを覗くとたいがいは「持ち時間40分・切れ負け」で運営されているではないか。運営者から見ればほぼ1時間半あれば1局が済むと計算が立つし、打つ側にすれば初めから時間設定が明確だから余計なことを考えずに対局に専念できる。

 ところが考慮時間を設けると理屈の上では時間が無限大に増える可能性がある。NHK杯でも「この対局は持ち時間を大幅に超えたので以下手順のみご覧ください」などと、時々中島プロが挨拶しているではないか。もう一つ、棋力よりも盤外策戦の関わる比率も高くなるのではないか。碁の本質を乱すような変なルールを、いつどこで誰が勝手に決めたのかーーともっともらしい理屈をこねて愚痴るのが私の定石なのだが、本当のところ、このやり方では勝率がやたら下がるのがくやしいのだ。

 梶原オワ先生が言うように、碁は布石から中盤への入り口にかけてこそが勝負師、あるいは求道者の醍醐味であって、攻め合いや死活は本来誰でもできるはずの“計算屋”の仕事、さらに寄せともなると単なる“事務屋の手続き”に過ぎないとなると、勢い50手ほどまでの間に持ち時間の大半を費やすことになる。

 ところが普通のザル碁アマは(他の方はいざ知らず少なくとも私は)定石うろ覚えだし、出来上がった形がすぐに頭の中に描けるわけではない。強い人ならひと目でわかるような方向選択の際にもいちいち頭の中で石を置いて並べてみなければ比較検討できない。もちろんたくさんの定石を知っているわけではないのだが、この作業がなかなか楽しいから、いつの間にか陶酔の境地に入り込んで時間が矢のように過ぎていってしまう。

 それ以上に重大な問題は、「ここは手がない」または「手があっても相手の得にはならない」と直感したところに相手が自信たっぷりに手をつけてきた場合だ。こんなところで碁を負けにしたくはないから慌てて読み直すのだが、「持ち時間20分」などと決められていると残り時間が切迫していることもあってまず間違える。これまでの経験では、直感は60%程度当たっているのだが、同時に対応を誤る確率も60%ぐらいなのがとても無念。梶原オワ先生を信奉する私にとって、「20分+30秒×3回」などと言うルールは碁の醍醐味を殺す以外の何物でもない。

 とは言え、碁はネットと最も相性がいいとされるゲーム。いつまでもグチグチ言っていても始まらない。インターネットで碁を楽しむなら、このルールに慣れなければ。しばらくは勝率や昇・降段は考えず打ってみるしかない。

 それにしても、「持ち時間普通の碁」という呼称は少々不遜ではないか。考慮時間の有無に応じて3、4種の標準パターンを設け、それぞれA方式とかB方式などと名付ければそれでいいのではないかと、未練たらしく愚考してしまう。

亜Q

(2008.7.21)


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