オペラまたはミュージカルと囲碁

 囲碁ワールド誌上で2005年1月号から欧州便り「碁“GO”スケッチ」を連載している千寿師匠が4月号で、囲碁とオペラの話を書いている。囲碁教室に通う子供たちの8割近くがピアノを習っていたことから書き起こし、どうやら囲碁と音楽は相性が良いらしく、欧州の囲碁講師や生徒もピアノやオペラなどの音楽好きが多いことなどを紹介。さらに15年ぶりにパリで再会した教え子の世話で観劇した「魔笛」と「セビリアの理髪師」の素晴らしさに堪能したと報告している。作曲家のモーツァルトやロッシーニが活躍した18世紀から19世紀にかけて、日本では本因坊察元や第7世安井仙知ら早熟の天才が世界中で活躍していたことに想いをはせ、「いつの日か、大作曲家が碁をテーマにしたオペラを書いてくれないだろうか……」と、いかにも千寿師匠らしく(つまり少女気分満載で)結んでおられるのだ。

 何とこの話は締め切りの関係で、私めが「モーツァルトとアインシュタイン」を書いた2月11日とほぼ同時期に書かれたらしい。しかも内容が言わば右手と左手の関係、つまり千寿師匠は「囲碁を五線譜上に表すこと」に触れ、私めは「音楽や絵画を盤上で表現すること」を書いた。私めはなぜか最近物理学づいているから半導体素子で言えば、発光ダイオードと受光ダイオードの関係に似ている。早い話、私めは師匠と発想がそっくりなのだ!

 ただし公正・客観的に見れば、「盤上に芸術を見る」というのは明らかに“アリキタリ”だ。「碁をモチーフとして芸術を創作する」千寿師匠の方に新味があるのは残念ながら認めざるを得ない。オペラに限らず、バレエや絵画、さらに日本の古典芸能、能でもいいかもしれない。能の真髄とされる“幽玄”にせよ“序・破・急”にせよ、まさに碁にぴったり。信長が明智光秀に誅殺される本能寺の変の直前に打たれたとされる日海上人(後の本因坊算砂)と鹿塩利玄(だったっけ?)の寂光寺での不吉な三劫勝負などは能になっているのだろうか。もっとも、囲碁の文化史に通暁される水口藤雄氏によると、これは真っ赤な作り話らしいが。

 蛇足ながら、師匠がお好きなオペラ、あるいはミュージカルについて。私めはどうしても居心地が悪くてならないのだ。典型的なシーンを類推すれば、妙齢の男女が互いの目を見交わしながら何やら深刻気に話し合っている。すると片方がやにわに小鼻広げ大口開けて誠に唐突に歌い出すのだ。それも、赤面せずにはとても聞いてられないような内容の歌詞ばかり。「今宵、私にとって1分間が1時間のようだ」とか「マリア、これまで聴いた最も美しい名前!」だとか。おぇ〜。

 美しい大和心の持ち主にはとても気恥ずかしくてならない場面の連続を、オペラやミュージカルのファンの方々はどのようにしのがれていらっしゃるのだらうか?

亜Q

(2005.3.18)


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