あなたは楽観派?

級位者を対象にしたハッピーマンデー教室で学び短期間で三段格(いわゆる「世間相場」ですが)にまで上達されたM女とこもりんが対局を済ませた後、何やらいさかいを始めた。

「M女は楽観派でしょ。あんなに甘く打ってそれでも勝てると思っているんだから絶対楽観だよ」と、こもりん。みるみるM女の口がとんがった。どちらが勝ったかはわからないけれど、少なくともM女がオカンムリになったことは確か。「つ、つまり、少々の地を与えても大きいところに打てば勝てると余裕たっぷりにいられるのがすごい。悲観してじたばたするよりずっとかっこいいじゃん、と言いたかったんだよ」とこもりんがあわてて補足すると、M女のご機嫌はあっけなく治まる。M女が楽観派であることはどうやら間違いないようだ。

こうしたやり取りはもちろん私も何度も経験している。いわば仲良し同士の痴話げんか。ザル碁アマ同士の醍醐味の一つと言えるかもしれない。人は未熟に生まれ、人間同士の切磋琢磨や幾つもの紆余曲折を経て成長していくーー。そんな感慨に浸りながら、私は二人に慈愛の目を注ぎ、ついでに我が身の優しさに自愛の念を抱く。ところがM女の矛先が突然私に向けられた。「亜Qさんはもちろん楽観派でしょ、うふっ」。

「チョ、チョッコンマタレイ夫人の恋人!」——いきなり冷水を浴びせかけられ、私は思わずワケワカメの叫びをあげた。何より、最後の「うふっ」が気に食わない。しかし私はオトナだ。すぐに冷静・寛容な態度でこう答えた。「どうぞ“見た目”で判断してほしい。ほら、僕の場合、広い額に垂れ下がる長い髪をうるさそうにかき上げ、いつも考え深そうな憂いを含んだ眼差しの持ち主でしょ。そう、ダザイとかリューノスケとかノーベル文学賞の川端さんとかをイメージしていただければいい。劇中人物に例えれば『ハムレット』。だから碁を打てば『生か死か、それが問題だ』なぞと深刻に口ずさんでいるんです」。これで私が生来の悲観派であることがたっぷりお分かりいただけたに違いない。私は安堵して帰宅の途についた。

と、私の帰宅を待っていたかのような雨。天気予報では降水確率はせいぜい50%程度と言っていたではないか。私は50%程度なら断固傘を持参しない。面倒くさいし、降られなければ傘をなくす可能性がやたら高い。それに経験上、雨は降らないことが多かったから。そう言えば野球やサッカーでひいきチームが負けていても、必ず逆転してくれると信じて最後まで見てしまう。いつしか、ノーテンキ教祖のかささぎさんの悪癖が伝染していたかもしれない。これで、正真正銘の「悲観派」と言えるのか。熟考すれば、馬齢を重ねた私は“アラッカン世代”だった!

ところで、この掲示板を時折のぞいていただく変人諸兄はいかがかな。拝察するところ、「悲観派」が多いのではなかろうか(貴兄は例外かも)。読み解くカギは「耳赤・恥の1手」。先生の正解がたまに掲載される以外は、私のようなおバカな回答を含めてザル碁同士のカンカンガクガク。楽観派の方から見れば、「ばかばかしくて付き合っちゃいられない」。しかし悲観派の方にとっては「自分だけが悩んでいるわけではなかった」と、きっとカタルシスを覚えるはず。だから「諸兄は悲観派」と判断したのは、賢い分析を踏まえた科学的な根拠に基づいているのデス。ついでながら、「耳赤・恥の1手」は一部の方からのご好評を受け、これからも続きます。悲観派の皆様はどうぞこぞってご回答をお寄せいただくよう、よろしくお願いいたします。

亜Q

(2009.3.18)


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