オザワvsヨサノ〜“未完の対局”を見たかった〜

戦後30人目の首相にアソウさんが就任した。遠からず火蓋を切って落とされる総選挙までの「三日天下」。敵将オザワさんとの一騎打ちは、日本人が経験したことがない「政権選択選挙」すなわち「首相公選」に限りなく近い形になるらしい。両者共に世襲議員、それぞれ慶應と学習院といういわゆる“お坊ちゃん大学”を出身校とするが、人柄やスタイルはずいぶん違うような気がする。中秋から晩秋にかけて日本列島が選挙戦一色に染まる中で、どんな論戦が熱く展開されていくのだろうか。

広告評論家の天野祐吉さんが9月23日付朝日新聞コラム「CM天気図」で、「最近の政治家の言葉は貧しい」と嘆いていた。槍玉に上がったのはオオタ前農林水産大臣。「人体に影響がないことは自信を持っている。だから、あんまりじたばた騒いでいない」だの、「日本の消費者はやかましい」だの、「レイプする人はまだ元気があるからいい」だの。そう言えば、アソウさんも「(集中豪雨は)○○や△△でよかった」などとのたまって物議をかもしたばかりだ。

人間だから、だれしも間違った言葉使いをすることもあるし、失言もする。が、政治家の道具は、カネでもモノでもない。ただひとつ「言葉」である。その政治家が貧しい言葉を連発するということは、政治そのものの貧しさを広告しているようなものだろう。「言葉貧乏の克服」こそが、今、この国にとって最大の政治課題だったりして——と、天野さんはカッコよく締めくくっていた。

しかし、オザワvsヨサノの一騎打ちだったらどうだったろう。無派閥のヨサノさんは自民党総裁選の5候補の中で最も地味な存在と見られていたようだが、主張した政策に多くの賛同者を得て、アソウさんに次ぐ2番目の得票率を残した。ミヤザワさんやフクダさんと同様に、政治家にありがちな“ボス猿志向”が薄いタイプらしいから、総裁選を勝ち抜くよりも“タナボタ”就任のほうが似合いそうな気がする(失礼!)。

オザワ・ヨサノ両者に共通するのは碁の趣味。もう1年近くになるだろうか、この両者は依田紀基元名人の立会いの下、互い先で対局した。ご存知の通り、結果は白番オザワさんが大勝したが、ヨサノさんは日頃「オザワさんとの碁では私がご指導する立場」と広言して憚らなかったそうだから、突然設営されたこの一局で結論めいたことを言われるのは大いに迷惑・不本意だろう。オザワさんだって1度の勝ちで勝負がついたとは言いにくかろう。その意味で二人の“未完の対局”を総選挙という舞台で見ることが叶わなかったのは、ちょっぴり心残りだ。

ヨサノさんが自民党総裁選を制していれば、総選挙は盤上の対局再開に先立つ前哨戦となるはずだった。オザワさんとの党首同士の論戦では、当然囲碁用語が飛び交うことになったろう。オザワさんが「国民の生活を守るには大場より急場、格差社会を解消しなければならない。大局に着眼して小局にきめ細かく着手する」などと叫べば、ヨサノさんは「囲碁十訣」などをひもといて「貪っては勝つことができない。財政を再建して堂々たる政治、碁に喩えれば“本手”を貫く」とでも返すことだろう。

言葉による宣伝効果は決して無視できないほどの力があると思う。国民は選挙戦をながめながら、日本が育んできた囲碁文化に触れ、乱れたり汚れたりしている世界の中で、愛とか誇りとか人間の尊厳とか、そんなことをふと感じ取る——。ここまで書き進めて、またまたノーテンキな妄想に浸り込んだ自分に気がついた。恥ずかしながら、この辺でお開きにさせていただこう。

亜Q

(2008.9.23)


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