オーリッセーの手

 某サイトで、かささぎさんがM師匠をいぢめていた。

かささぎ> こんな手どこで教えてもらったのですか?
かささぎ> こんな手、相手が井目でも打ちませんよ。

M師匠> くすんくすん。「どこで」って、本当にリッセーさんが打ってたんだもん(;_;)。
M師匠> それで衝撃受けて使うようになったんだもん(;_;)。

 かささぎさんはさらにかさにかかってM師匠の愛弟子たちにも触れ回る。「みなさーん、こんな手真似してはダメですよ〜!」

 いつもの元気と貫禄はどこへやら、M師匠は背中丸め、唇かみ締め、目には涙。どうやら原因は、M師匠が自ら名づけてネットで打った“オーリッセーの手”。相手が三連星に構えた辺の星の石の2路下に序盤早々に潜り込む。ま、節操がないと言えばその通り。その際、「オーリッセー!」とひと声上げてパチッと打ち据えなければならないそうだ。

 大胆に相手の陣深く打ち込み、暴れまくってガラガラにしてしまう恐ろしい手。もちろん、相手への畏れとか敬意などは全くない。むしろ、“おちょくり”に近い。相手が下手(したて)の場合に特に有効で、相手の思考回路をバラバラにしてしまう。M師匠はこの碁を「三連星は地にあらず」と題した教材にして愛弟子に開陳したらしい。

 嗚呼、何たるフソン、何たるセンエツ、何たるゴーマン!これが相手の着手を厳しく咎め、テッテーテキに追求するかささぎさんの神経細胞に障ったか。それとも「こんな手ばかり打っていては上達の妨げになる、すぐやめさせなければ」との、かささぎさん特有の愛の鞭なのか。

 懐の広い(もとい、真実を告白すれば「無責任な」)私はM師匠の味方をしたくなる。M師匠は30代半ばを過ぎて碁を始め、わずか1年少々で“そろそろ二段”に駆け上った天才。あの頃の私は、初段どころか、せいぜい愛弟子カオル・マヤらと同程度。成長が遅い私は、3年後、5年後にはM師匠に追い抜かれていると考える方が合理的なのだ。

 上り調子のアマは誰でもゴーマンになるし、いろいろな打ち方を試してみたくもなる。徹底的に地を稼ぐも良し、模様を張るも良し、異端の打ち方に挑むも良し。むしろその時に受けた挫折こそが、将来の肥やしになる(キッパリ!)。先生にちょっと叱られたからと言って、いぢけないでね>M師匠。

 それにしても面白いのは、着手にプロ棋士の名前を冠する発想。一間トビならタカガー!三々潜り込みならコーイチ!六線のボーシならタケミヤー!コスムならシューサク!5の五にカケルならケーゴ!ツケキリ敢行ならサカター!向かい小目を打つならカトー!並び小目ならチョーウ!ぶすぶすキリまくればゴロー!ぼんやり大ゲイマならカイホー!ペタペタあっちこっちツケルならチクーン!愚形にグズムならアワジー!ぶっ飛んであらぬところに着手するならオーメン!終盤不利な局面で、怪しげなオキ一発でヨセル時はマヤー!もとい、イーチャンホ!

 「おいおい、ボクはこんな時そんな手は打たないよ」ーー。アマが勝手にイメージして、変な手に名前を連呼したらプロは迷惑かもしれない。でも、それってプロへの愛情。大目に見てね。

 ところで、我らがシャトル先生はどんなときに使えばいいのだろう。これがまた難しい。中原のボーシ、あるいは千両曲がり、あるいはハネズ・当テズにじっとノビーー。どうもピンと来ない。シャトルーッと叫ぶならどんな手の場合が最適ですか?>シャトル先生。

亜Q

(2003.10.23)


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