囲碁梁山泊

 囲碁梁山泊という季刊誌がある。
 名前の通り、官に対する野のような、建前よりも本音を出している碁の雑誌だ。
 去年、筆者の一人である長谷川さんが、千寿会に来たとき紹介してくれた。それを10月の「2009ファンフェスタ in 箱根」で頂いた。頂いたのは「2009年 冬」通算52号。「2009年 朱夏号」54号。「2009年 白秋号」55号。
 インターネットでは「2009年 春」が紹介されていた。
 春から夏にかけて、号名が変わったのか。おそらく、今度の冬は「玄冬号」春は「青春号」となりそう。
 内容はかなり濃い。はっきり言って、わたしの棋力では読み切れないほど。
 読んだ三巻では、藤沢秀行九段と井山裕太九段の記事が多い。秀行さんは亡くなり、井山さんは名人になったので当然。しかも名人は関西。そう、この雑誌は大阪の「関西社会人囲碁連盟」の発行である。発行人は正岡徹氏、囲碁に詳しい人なら、一度は名前を目にしているだろう。

 わたしが注目したいくつかの記事を紹介。
52号 以前ここでかささぎさんが紹介した、釼持師が解説した詰碁の原型がある。間違いがあって、釼持師に指摘されたとか。
52号 秀行さんの書展のこと。この書展は千寿会でも見に行って、秀行先生と写真に収まった。
54号 藤沢秀行さんの追悼特集号で秀行さんの記事で埋まっている。
54号 80歳から碁を始めて、88歳で八段に登った方の話。普通は七段までだが、特別に許可をしたとか。奇蹟のような話だ。もちろん試験に合格したもの。名前だけではない。もっとも碁を覚えたのは15歳の時という。それなりに強かったであろう。
55号 弱冠20歳の井山名人誕生。
 弱冠20歳という言葉がこれほどピッタリすることは他には無い。周では20歳になると冠をつけたので、20歳を弱冠という。井山さんは20歳で名人の冠をつけたではないか。
55号 宋麗五段のこと。宋麗さんが関西棋院に入ろうとしたところ、中国から横槍が入り、庇いきれなかった。しかし、瓊韻社の五段を許されたよし。
 ゼイノイさんのことを思い出した。詳しい経緯は知らないが、韓国で活躍している。

 自分で購入していないのに紹介するのも気が引けるが サロン・ド・ゴをどうぞ。

謫仙(たくせん)

(2010.1.4)


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