行動?それとも自粛?

「八百長如きのエンドレスな問題にいつまでもかかずらわっているな。四の五の言わず、夏場所を開け!これが大多数の国民の声だ」――大災害が勃発する直前、横綱審議委員長の鶴田卓彦氏がこんな怪気炎をぶち上げた。大相撲の八百長疑惑は昔からくすぶり続け、ほぼ10年サイクルでマスコミの話題にもなっていたが、ネット時代に入ってケータイメール記録という物証が出るに及んで、単なる噂かられっきとした事実と周知されるようになった。「この際、徹底的に膿を出し尽くして問題を解決するまで場所再開は見合わせるべきだ。その都度テキトーに疑惑に蓋を被せてなし崩しに再開していたら、いつまでも本質的な解決には至らない」との“正論”がまかり通る中で、発行部数が多いある夕刊紙がやや揶揄した調子で鶴田氏の発言を取り上げていた。

「不謹慎」との誹りをいただきそうだが大災害から日が浅い3月16日、東京八重洲のいずみ囲碁ジャパン(さすがに当日は空いていました)で開かれた碁会でこの鶴田氏にお会いした。参加者は昭和元年生まれのチカちゃん(元文壇名人濱野画伯)、たくせんさんを含めてわずか6名だったが、八重洲地下の赤提灯で挙行した19番ホールで鶴田氏は昭和2年生まれとは思えない精気満々の表情でまくし立てた。概要は以下の通りで、おそらく人によって賛否こもごもだと思うが、大相撲に縁の深い鶴田氏が率先して話された内容は一つの見識だと思う。亜Qがかなり感情移入した上でやや過剰気味に補足しながらまとめればこんな具合だ――。


◆仲介役が存在して金銭で勝負を取引するのは言語道断。徹底的に調べて厳しく対処し根絶を図るべきだ。しかしそれはごくごく少数であり、長年続いた悪しき慣行だったとは思わない。

◆しかし勝負事において、“広義の八百長”は付き物と言えるのではないか。頼まれたわけではないが、諸般の事情で闘争心が湧かないことや、相手との関係ではなく自分の体調などによって気力が充実しないことはままあるだろう。これは相撲に限ることではなく、囲碁を含む対人競技全般に言えることだろう。

◆プロであればそうした事態を極力避けるべく努力する義務があるが、一方で配慮を尊ぶ日本人の一人であることも忘れてはいけない。

◆アマチュアにはそこまでは求められない。逆に、相手の立場に配慮する性向は日本人の美徳とも言われたりする。“片八百長”は悪徳、配慮は美徳とはどこかご都合主義が見え隠れする。事柄によって美徳と悪徳をころころ使い分けるのはダメ。

◆学生なら勉強、職業人なら仕事が本業とすれば、いついかなる時も100%の準備とやる気満々で対応するのが本当のプロと言えるが、そんな人はいるかい?いたらお目にかかりたい。きれい事を並べるより、できないのが人間だと認めるべきだ。どこの世界であれ、無気力相撲と同様なことをたらかすのは人間である限り避けられない。

◆自ら省みて「不正や無気力を絶対やらない」と言い切れる人だけが“広義の八百長”を咎める資格があるのだ。聖書にも似た文句があったじゃないか。

◆大相撲改革案の中にはこんな迷案もあった。土俵近くの見物客に「取り組み後に八百長の疑いがあるものに印をつけよ」などとマークシート用紙を配るなどと言うのだが、こんなことは絶対無理。「キミならわかるかい」と相撲協会の放駒理事長に聞いたけれど、「わかりません」と言っていたよ。

◆そもそも八百長の定義とは何ですか?誰かちゃんと答えられますか?さらにある取り組みが八百長だったかどうかどうやって判断しますか?誰でも納得できる判断基準はつくれますか?――これは人類が存在する限りつきまとうエンドレスな問題だ。

◆いつまでも立ち尽くしていても何も始まらない。まず、発覚した一連の金銭八百長に厳しい措置を講じる。その上で、今回の騒動で親方も力士も裏方も肝に銘じたはずだから、相撲協会は予定通り5月8~22日、東京の国技館で夏場所を開くと早急に宣言せよ!

◆財団法人から公益法人への移行を目指している今、相撲協会は文科省の意向を気にし過ぎているのではないか。一監督官庁の思惑などより、大多数の国民の声に耳を傾けるべきだ。

◆大学入試カンニング騒動だって何か責任逃れの臭いがする。カンニングなんてこれまでにもあまたあった(実は俺だってやらなかったとは言い切れない)けれど、学生の「逮捕」は前例がないだろう。ネットを利用した新たな不正手段が発覚したという意味では確かに大々的に報道されてしかるべきだが、唾棄すべきカンニング学生としてすぐに警察に捜査を委ね、結果的に将来の道さえ閉じるようなやり方は大学が悪いし、法務当局の対応も大仰だし、それを当然の措置のように大々的に報じるマスコミも悪い。ここにはマスコミ関係者がいないから言うけどね――。


以上、多少(否、かなり)筆が滑った気がしないでもないが、こちらを時折覗いてくださる変人諸兄はどう受け止められるだろう。例えば、被災者がまだまだ増え続け、耐乏生活を強いられる中で、プロ野球セリーグは予定通り3月25日に開幕し、ナイターも実行すると宣言した。「こんなときに大電力を食う興行を断行するなんて」「被害に苦しむ人、ボランティアで支援する人、命懸けで復旧作業に挑む人々がいる中で、なくても済む娯楽に興じるのはいかがなものか」といった声が多いような気がするが、一方で「災害の影響が比較的少ない人たちは状況を見ながらできるだけ早く平常生活に戻り、必要に応じて募金活動などに協力する方が自然な姿」とする考え方もありそうだ。さて、あなたは「自粛派」?それとも「行動派」?

亜Q

(2011.3.19)


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