元女流最強の弟さんが仲間入り

 7月3日の千寿会でうれしいお仲間が一人増えた。以前のT田さんに続いて、「このサイトを見て」入会されたと言う新海一孝さん。「トッププロと十番勝負を演じた“ノーテンキなかささぎさん”に興味を持たれた」とは、かささぎさんに代わって感謝感激!
 さっそくかささぎさんやyosihisaさんと打たれ、千寿先生は「ひと目五段以上」と認定された。

 ところがこの一孝さんが、何と元女流最強位、新海洋子五段の実弟だったとは――。
 千寿会が引けてから恒例の飲み会にお誘いした私は、つい余計なことを口走る。「シンカイと言っても、まさか元女流最強位の身内の方ではないでしょ」。
 すると一孝さんは言いにくそうに口ごもりながら「実は姉なのです」ーー。

 その時、ギャーっと大喜びしたのが健二先生(自称けんちゃん)。「彼女はボクの青春そのもの」「今でも胸キュンになる」と機関銃のようにまくし立てる。四半世紀以上も昔の院生時代、入段を決める最後の手合いで勝たせてくれたのが洋子さんだった由。なにやら、けんちゃんの胸には切なくも甘酸っぱい思い出が秘められているらしい。

閑話休題
 プロの身内が千寿会に来られるのは珍しい。だって身近に先生がいるのだから。
 「お姉さんはご存知なの?」また私は余計なことを聞いてしまった。
 「いえ、そもそもボクが碁を再開したことさえ知らないはずです。姉には内緒なのです」。
 私は好奇心の塊と化した。「なぜ?どうして?」を連発して一孝さんに迫る。

 決して饒舌ではないけど、人の良い彼がポツリポツリと語ったのは概ね以下の通り(三幕構成)。

●第一幕;
1)碁が大好きだった死んだ父親が2人の子供(姉とボク)に碁を習わせ、十代のはじめごろ院生にした。
2)姉は昔からいい子だったからまじめに勉強した。でもボクはいやでいやでたまらなかった。
3)2歳年上の姉はそんなボクを叱ったりなだめたり、母親みたいな調子でいつも世話を焼いた。
4)それやこれやで碁が大嫌いになり、「碁をやめる」と宣言して以後30年間石に触れなかった。

●第二幕;
1)ところが2、3年前、「ヒカルの碁」を見た三女が「碁をやりたいから教えてくれ」と言ってきた。
2)ボクは碁が大嫌い、もちろん子供にも薦めなかった。でもなぜかそれを聞いてとてもうれしかった。
3)久しぶりに碁盤を置いて、さっそく三女に手取り足取り教え始めた。
4)そして夢中になって教えているうちに、ふと気がついたら三女が大泣きに泣いていた。
5)何のことはない。三女は当時のボク、今のボクは当時の姉の役割を繰り返していたのだ。

●第三幕;
1)それきり三女は碁を打たなくなったが、ボクは碁の面白さに完全にはまった。
2)この2年ほど、新宿、池袋、人形町、いろいろな碁会所を巡り歩いたが、どこもなじめなかった。
3)それでインターネットで打つようになり、同時に千寿会サイトを知った。
4)“ノーテンキなかささぎさん”にひと目会いたい。生碁をたっぷり打ってみたい。
5)でも、碁断ちを宣言した姉には絶対内緒、千寿会でもプロの弟などとは言うまいーー。

 しかし彼のせっかくの志と男の意地は、老練刑事さながらの私の前にもろくも崩れた。「もう、何でも話してもらって結構です」と、すべてを白状した一孝さんは潔い。
 大はしゃぎの健二さんはさっそく電話番号を聞きだすとケータイで洋子さんを呼び出す。
 「あのね〜、ボク。ホラ日本棋院の小林です。いや、サトルではないっ、ケンジです」
 「今、弟さんと飲んでいるの、これから一緒に昔話をしようよ、いいでしょ!」

 その後のことを、酩酊した私はほとんど覚えていない。 ただ、洋子さんがかわいらしい少女の顔して歌った「いい日旅 立ち」と、エコーを利かせまくってケンジさんが歌った「池上 線」が二日酔いの頭に残っている。

亜Q

(2004.7.4)


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