入学試験の問題はやさしすぎても難しすぎてもいけません。 選抜したい能力が個人ごとに線型に散らばるのが理想でしょう。 ゴルフ場のレイアウト設計にも似たような苦心があるそうです。 常にバーディーに挑むプロ、パーを目指すアマのシングルクラス、 さらにボギーなら御の字の普通のアマとプレイヤーは様々ですが、 それぞれが楽しみながら実力(スコア)がうまく分かれるように、 林、池、バンカーやグリーンのホールの位置などを工夫するそうです。
その点で、W杯が終えたばかりのサッカーには少々疑問を感じます。 入学試験にたとえれば、難しすぎて実力差が反映されにくいと思うのです。 自分と相手の実力が6対4なら、例えば3対2の得点差になるのが妥当です。 しかし、ほとんどの場合そうはならない。 一流同士の試合になるほど、0対0や1対0の結果がやたらに多い。 圧倒的に攻め込んでいる側が、些細な隙を突かれて負けたりする。
野球の試合なら5対4のスコアが最も面白いと言われます。 試合時間が90分間のサッカーなら3対2ぐらいではないでしょうか。 それには、人為的に定められた現在のサッカーを見直すことが必要です。 ゴールポストを広げる、プレイヤー数を減らす、コート面積を再考する等々。 実力差をより正確に反映し、観客も楽しませる理想値があると思うのです。
少なくともW杯のシステムには大いに改善の余地があります。 例えば予選リーグの最終戦で結果的に八百長が成立することです。 リーグ4チームのうち1勝1分け同士と1敗1分け同士が戦う場合、 前2チーム同士は引き分ければ首尾よく決勝リーグに進めます。 阿吽の呼吸で平和裏に事を運ぶとしても、誰もとがめることはできない。 もう片方の2チームはこれもシステムのせいと恨むしかありません。
小理屈を振り回していますが、素朴なサッカー原始主義は理解できます。 即ち、「偶然性に左右され、どんなことでも起こり得る、これがサッカー」。 しかし、サッカーのルールのせよ、W杯の運営にせよ、 何の疑問も感じずに現状を肯定するばかりでは頭が固いかも。 サッカーの醍醐味をフルに発揮する方法が別にあるかもしれません。
さて、我らの囲碁はどうでしょうか。 すべての石は平等(将棋の駒のように能力差がない)で黒白交互に打つ。 ごく一部に生じる禁止点を除いてどこへ打ってもいい。 人為的に決められた部分と言えば、19路盤、コミなどほんのわずかです。 それでいながら、布石から中盤、ヨセに至るまであらゆる能力を競い合える。 “指運”は避けることができませんが、ほぼ実力差がそのまま結果に現れる。 しかも、その実力差をカバーするきめの細かいハンディも設定できるーー。
実にうまくできているゲームですよねぇ、ご同輩!
K
(2002.7.2)