愛棋家のはしくれとして、さびしいと言うより何とも惜しい話を聞いた。 30代半ばを過ぎて碁を覚え、おそらく普通の大人の何倍もの勉強をして、 わずか1年間で実力初段に駆け上ったM氏が碁をやめると言うのだ。 彼が学んだ教室は認定が辛いから、おそらく二段で打っても勝ち越すだろう。
これだけならばどこかの男の気まぐれ、「勝手にすれば」と、私は気にも留めない。 ところが彼は碁を打つ周囲の人たちへの影響力が抜群というより、一種の天才なのだ。 碁に関心がなかった人に興味を持たせ、教室に連れてきて楽しませ、続けさせる。 教室に居合わせた見ず知らずの初心者、初級者とすぐに打ち解けて人気者になる。
彼は中級者レベルの時から自らを「師匠」と公言し、周囲にも呼ばせててはばからない。 弟子を相手に置き碁の二面打ちなどといった、神をも恐れぬ怪挙(?)も公開していた。 一から碁を勉強していく人たちのカリスマ役(あるいは道化役?)を自ら賑やかに演じ、 同時に、自分自身を明るく前向きに奮い立たせて、周囲の共感を勝ち得たのだろうか。
なかなか男前の彼の“弟子”は級位者の若い女性が多いが、実はそればかりではない。 おなじみの御仁、O氏のようにはるか年上の男性高段者も密かに弟子入りしていた節がある。 さらに驚くなかれ、プロ棋士さえもーー。そう、私は確信を持って睨んでいる。 セーケン先生やBun 先生、インストラクターのF氏といった若手ならばそれもわかる。 ベテランプロのU先生、そしてあのシャトル先生までもがアマ初段の彼を師匠と見ていたのだ。 証拠はたくさんはないが、いちいち挙げるのはここでは控えよう。
彼は知る人ぞ知る、1ファンの立場から「ハンス・ピーチを偲ぶ夕べ」を開催させた人物。 ハンス・ピーチが始めた「ハッピー・マンデー教室」を今なお盛況にしている立役者でもある。
その彼が、いかなる天魔に魅入られたのか、碁をやめると宣言した。 「一身上の都合」とのみ語る彼の表情からは理由を知る由もない。 人類至高の知的文化である碁をグローバルに広げる架け橋として期待されたピーチ今は亡く、 日本の碁界空洞化を埋めるキーパーソンと私が密かに見込んだM氏も舞台を去るのか。 まことにもって、碁とは思い通りにならない不思議なゲームだ。
しかし、一度自転車に乗れるようになって、再び乗れなくなる人はいない。 同様に、一度でも碁の機微に触れた人が碁から永遠に離れてしまうこともない。 彼の復活を、今から私は首を長くして待っている。
亜Q
(2003.8.5)