「石の猿」の碁

石の猿   ジェフリー・ディーヴァー  訳 池田真紀子

 この小説は探偵ものといったらいいのか。シリーズで4作目。
 新井素子さんが「サルスベリがとまらない」の中で紹介していた一冊。碁を知らなければそんなものかと思うが、碁を知ったら……、と疑問を呈している。
 車いす生活の、元警部補で犯罪研究者リンカーン・ライムを中心にした一団が、中国蛇頭の殺し屋、ゴーストといわれるクワン・アンを探し逮捕する話。アメリカの、深刻な大量の密入国者問題と科学犯罪捜査技術を扱っている。
 小説のできはかなりいいらしい。わたしの好みではないので、小説については書かない。

 ソニー・リーという中国公安局刑事が、ライムに碁をやろうと持ちかける。ライムは碁を知らない。そこで教わってやることになるのだが、その文を紹介する。
P204〜205。以下赤字は原文通り。

 ライムはリーが紙袋から取り出してベッド脇のテーブルに置いた碁盤を見つめた。格子状に線が引かれ、垂直の線に番号が振られていた。次に紙袋から現れたのは、二つの袋だった。片方には白い小石が、もう一方には黒い小石が何百個も入っていた。
 ライムは俄然やる気になった。ルールとゲームの目的を説明するソニー・リーの生き生きとした声に、全神経を傾けて聞き入った。「ふむ、簡単そうだ」ライムは言った。二人のプレーヤーが順番に盤に右を置いていく。敵の陣地を囲んでいって、盤を広く占めたほうが勝ちだ。「圍棋もほかの面白いゲームと同じだよ。ルールは簡単だけど、勝つのは難しい」リーは石を二つの小山に分けた。分けながら続けた。「古い歴史のあるゲームだよ。偉大な棋士をいつも研究してる。名前はファン・シピン。西暦一七〇〇年代の棋士だ。ファンほど強い棋士はいまだに出ていない。スー・ティンアンという、同じくらい強い棋士とよく試合をした。たいがいは引き分けに終わったが、かならずファンが幾目か勝っていた。だから、総じてファンのほうが強かったわけだね。どうして強かったかわかるかい?」
「さあ、どうしてかな」
「スーは防御の棋士だった。だけどファンは……つねに攻めていた。いつも前進を続けた。直感的だった。大胆だった」
 ライムはリーの熱意を感じ取った。「きみはよくこのゲームをするのかね?」
「故郷では同好会に入ってる。そうだね、碁はよく打つよ」彼は一瞬押し黙り、切なそうな表情を浮かべた。ライムはなぜだろうかと首をかしげた。やがてリーは脂っぼい髪をかきあげると、言った。「よし、始めようか。疲れた顔をしてるね。ゲームは長くなるかもしれないよ」
「疲れてはいない」ライムは答えた。
「俺もだ」リーは言った。「そうだ、あんたは初心者だから、俺にハンディキャップをつけよう。最初に三個よけいに石を置いてやるよ。大した違いに思えないかもしれないけど、圍棋では大きな違いだよ」
「いや」ライムは言った。「ハンディキャップは要らん」
 リーはライムの顔をちらりと見て、ライムは身体の障害のせいでハンディキャップをつけてもらったと思っていると考えたらしい。そして真剣な声で付け加えた。
「あんたは今回が初めてだから、ハンディキャップをつけるだけだよ。理由はそれだけだ。場数を踏んだ棋士はたいていそうする。慣例だよ」
 ライムは理解し、リーの気遣いをありがたく思った。しかし、断固たる口調で宣言した。「ハンディキャップは要らない。きみが先手でいいぞ。さあ、始めよう」
 リーは二人の間に置かれた碁盤に目を落とした。

 ここで碁の話は終わり。この記述、著者が碁を知らないのではないかと思われる。
 新井素子さんは、「ハンディ三子」などに意見を書いていたが、わたしはこの記述のおかしさを考えてみたい。
 リーは同好会に入っていて、仕事で大量殺人の捜査でアメリカに出張する時も盤石を持ち歩くほど。おそらくは有段者であろう。間違っても5級以上、初心者ではあるまい。
 教えるリーが中国人なので、中国語の「圍棋」を使うのは仕方ないが、その知識は偏りが見られる。

1 格子状に線が引かれ、垂直の線に番号が振られていた。
★ 持ち歩く碁盤に「番号が振られていた。」とは驚き。そんな持ち歩きの碁盤があるのか。これはわたしの知識の狭さを感じた文章。

2 片方には白い小石が、もう一方には黒い小石が何百個も入っていた。
★ 黒石181個、白石180個、それぞれ200個に満たない。これを何百個というか。
 まあ、両方合わせれば361個なので、「何百個」相当するが。

3 「ふむ、簡単そうだ」ライムは言った。
★ 一度説明されただけでゲームが理解でき、「簡単そう」と思う人がいるだろうか。確かにルールは簡単だが、聡明な人ならゲームは複雑で難しいと思うだろう。

4 敵の陣地を囲んでいって、盤を広く占めたほうが勝ちだ。
★ 「敵の陣地を」ではなく、空き地を囲む。

5 リーは石を二つの小山に分けた。
★ 初めから白黒に別れていた。なぜここで分けるのだ。

6 偉大な棋士をいつも研究してる。名前はファン・シピン。西暦一七〇〇年代の棋士だ。ファンほど強い棋士はいまだに出ていない。スー・ティンアンという、同じくらい強い棋士とよく試合をした。
★ ファン・シピンとスー・ティンアンは実在の人物だろうか。このあたりに著者の知識の偏りと限界が見える。日本の碁を知らなかったのか、あえて無視したのか。

7 たいがいは引き分けに終わつたが、かならずファンが幾目か勝っていた。
★ 引き分けたのか、かならずファンが幾目か勝っていたのか、どっちなんだ。
 おそらく著者の頭にチェスがあって、同じくらいなら引き分けると思ったのではないか。コミのない時代、プロレベルの同じ棋力の人同士で、引き分けることは絶対にあり得ない。プロなら二段差以上ありそうだ。仮に同程度で引き分けることが多くあったとすれば、この二人のレベルはアマ高段程度か。間違っても「ファンほど強い棋士はいまだに出ていない。」などというハイレベルではない。

8 「スーは防御の棋士だった。だけどファンは……つねに攻めていた。いつも前進を続けた。直感的だった。大胆だった」
★ それは棋風で、それだから勝った、とは言えない。棋風の説明と考えるか。

9 「そうだ、あんたは初心者だから、俺にハンディキャップをつけよう。最初に三個よけいに石を置いてやるよ。大した違いに思えないかもしれないけど、圍棋では大きな違いだよ」
★ おいおい、ハンディなら井目(九子)にすべきだろう。まあ、ここはライムが碁を理解するまでの練習だから、それで三子でもかまわないが…。それに「余計に石を置いてやる」とは白も石を置くつもりか。初めにタスキに石を置いてからゲームを始めた戦前の中国の碁のルールを基にして考えているのか。

10 「あんたは今回が初めてだから、ハンディキャップをつけるだけだよ。理由はそれだけだ。」
★ それなら井目だろう。このあたり著者が置き碁の意味を理解していないと思える。教えるためなら互い先で問題ないはず。

11 場数を踏んだ棋士はたいていそうする。慣例だよ」
★ 場数を踏んでなくてもそうする。

 本当に碁を知っているのだろうか。碁の説明書を読んで、それを基にして、理解しないまま書いたとしか思えない。

   …………………………
 章の扉に次の説明がある。小説全体を碁に見立てているようだ。その説明を読んでいると「どこか違うなあ」と思ってしまう。

第一部 蛇頭
 圍棋(囲碁)という語は、二つの中国語からなる。“圍”は包囲することを“棋”は陣地を指す。よって圍棋は、生存を懸けた闘いを象徴する。“戦争”ゲームと呼んでもいい。
  −ダニエル・ペコリーニ&トン・シュー『圍棋』−
(以下同じ)
★「棋」を辞書をひくと、現代中国語辞典 香坂順一編著 では、
  象棋〔将棋〕・圍棋〔囲碁〕など。
学研漢和大辞典 藤堂明保編では、
  1 四角い盤の上で打つ囲碁。また、碁石。
  2 四角い盤の上で打つ将棋。また将棋のこま。
  四角い木の盤
とあり、いずれも陣地の意味はない。

第二部 美しい国
 勝敗を決めるのは、いかに先まで見通す事ができるかどうかである。相手の動きを読み、戦略を見抜いて攻めた者、相手の防御策をあらかじめ予測した上で攻めた者が勝つ。

★ 「……で攻めた者が勝つ」とは限らない。間違っているとは言えないが、ずれを感じる。わたしなど読み勝って碁に負けることはよくある。

第三部 生者と死者の名簿
 圍棋の試合は……二人の棋士が何もない碁盤を挟んで座り、有利と思われる場所に石を置くことから始まる。何もない升目は試合の進行とともに消えていく。やがて二つの勢力はぶつかり合い、攻防は激しさを増す。ちょうど現実の世界で起きる戦いと同じように。

★ 升目ではなくて交点。いつも「やがて二つの勢力はぶつかり合い、攻防は激しさを増す。」わけではない。

第四部 悪鬼の尾を切る
 圍棋の試合は、対戦する棋士の実力が拮抗していればいるほど面白い。

★ これは、その通り。まあ、このリーのように弱い者いじめ(初めての人に三子局を申し出、結局互先で三連勝)で楽しむ人もいるが。

第五部 待てば海路の日和あり
 相手の石を有効に取るには……相手の石の周囲に隙を残さず完全に囲わなくてはいけない……完全包囲されて初めて部隊の兵士が敵の捕虜となる実際の戦争と全く同じである。

★ 「有効に取る」とは何だろう。有効でない取り方があるのか。翻訳のミスかな。それに完全に囲んでも、二眼で活きている石は取れない。これが実際の戦争とは全く異なる。

謫仙(たくせん)

(2009.5.16)


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