わが偏見〜“最強プロ” はこの方ではないか ②

 まずは千寿会を主宰する千寿師匠。誰にでも大盤振る舞いしてくれる覚さんとはどこか棋風が似通う姉弟でも、アマへの教え方となるとアカの他人。私の周囲の千寿会諸兄には愛嬌のある方が少なくないから、「真綿で首を絞められた〜」(かささぎさん)だの、「緋牡丹お竜の匕首一閃にやられましたよ」(たくせんさん)だの、「熟女の手練手管に昇天した」(yosihisaさん)だの、師匠への怨嗟の悲鳴(私の鋭い観察の前にはみっともなくも情けない“中年男のよがり声”に聞こえる)が絶えず、なかなか弟子どもに勝たせない。

 ところが天網恢恢疎にして漏らさず、私だけが知っている密かな弱点がある。そう、試みにこちらが苦戦に陥った時、さりげなくブンカテキな話題を振ってみたまえ。チーママはすぐさま乗ってきてその該博な知識や経験を一つ二つ披露し、さらに話題はフランスだかスイスだかオーストリアだかのゲージツやお食事などにすっ飛んでいく。そしてしばらくして「アラ、こんなところに石がある。私が打ったのかしら」などとびっくりされて、首尾よく黒に勝ちを譲ってくれるのだ。いったん崩れた碁は(たとえ相手がザル碁アマでも)強引に勝ちに来ない。つまり悪粘りしないのは、やはり覚さんと血がつながっているのだろう。これこそ、真の文化交流使たる器量ではないか。

 チーママと共に今日の女流棋士の地歩を築き上げたO.トモコ姉はどうか。もちろん彼女も、天才少女ともてはやされた自分のステータスを軽々しく崩すはずはない。押されれば押されるほど、慎み深そうな外面からはうかがい知れない怪力と魔術を発揮し、ついには得意の寝技で逆転してしまう。ところが何と、私の隣で打った古くからの碁敵がいつの間に勝ってしまったのだ。彼の棋力は私に先でなかなか入らないのに、生意気にも私と同じ置石なのがさらに悔しい。しかしその理由は明々白々。彼は対局の最中に臆面もなく聞きまくるのだ。「ここは生きているかなぁ」だの「これは変ですかね」とか。トモコ姉はさすがに直接答えることはしないが、問題がなければ軽く頷き、アマがまずい手を打ちそうになると首を傾げたりオホホと笑ったりするから、一手一手教えているのとまるで変わらない。寡黙に男らしく打ち進める私をないがしろにして、女々しく自分をさらけ出して甘える相手(しかもちょっと男前!)に勝たせるとは断じて許しがたいが、トモコ姉は人一倍母性本能が強いのかもしれない(きっと、ご主人の山本圭さんともそんな接し方をされているのだろう)。

 こうした母性本能は、本田三姉妹や佐藤真知子三段(佐藤昌晴九段夫人)、新海洋子五段らベテラン女流棋士なら多少の差こそあれみんな持っているように見えるが、一世代後になるとまるで風景が変わってくる。そもそも、中年オヤジに何もこびへつらう必要性をまるで感じていない(若くてハンサムな男の子の場合は知らないが)。20代から30代にかけての女流棋士に共通しているのは、同じ年代の男性棋士よりはるかにオトナだということ(千寿会の健二さん、貴公子、ジョー、水間先生ら比較したわけではございません)。何よりも女性独特の“情念”(年齢には一切無関係)のようなものがザル碁の私ごときにまで伝わってくる。

 その代表例が、ヤッシー女流本因坊位と加藤啓子女流名人。大きなタイトルと合わせて、それぞれ金澤秀男七段(ついでにゴールデンレディースの賞金100万円も)、溝上知親八段を相次いでゲットした。ノーテンキ人生を謳歌している多くの凡夫にとって、目標を定めた女性の狙い撃ちは年齢差を超えて恐ろしい。例えばヤッシーは、初めのうちこそポンポン気合よく打ってくるが、難所に差し掛かると盤上に頭をせり出し、前髪が完全に顔にかぶさるのもいとわず一心不乱に読みふける。「この髪の毛を少し分けてもらいたい」などとあらぬことを私が考えているうちに、いつの間にか最も剣呑な泥沼に引きずり込まれ首が胴体から離れている。啓子姐御は布石の段階から表情が怖い。プロ棋士に教えてもらっても“あがる”ことはめったにない図々しい私でも序盤早々破壊されてしまう(と言っても誰も同情してくれませんよね、別にいいんです)。

 この二人の次の世代、棋戦での実績に加えて若さと愛敬を武器に今売り出し中の美女軍団はさらに上を行くようだ。しかもなぜか姉妹が多い。人気抜群の「カナ・ナオ」の万波姉妹、知的でありながら性的魅力にあふれた二律背反の瞳を持つ「秋乃(三段)・萩乃(アマ強豪)の井澤姉妹をはじめ、「コズエ・チアキ(長女のカオリさんの碁は見たことがありません)」の向井姉妹、「賢貞(日本棋院三段)・孝貞(韓国棋院二段)」の金姉妹らが代表格。いずれも碁が進むにつれて顔は赤らみ目は潤いを帯びて鋭く光を増し、居並ぶオジサンどもを次から次へと血祭りにあげる。小さいころから地元の力自慢と戦ってきて、負けるなどと言う言葉は彼女たちの辞書にはなくなっているのだろう。昔おじいさんに連れられて千寿会に勉強に来ていた奥田アヤちゃん(私が先で入れたこともあった!)も、同じ道を歩み始めているのだろうか。

亜Q

(2007.3.18)


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